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特別展「草原の王朝 契丹」を観てきました

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 大阪市立美術館での特別展「草原の王朝 契丹」を観てきました。

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 この展覧会のことは、既に特別展「草原の王朝 契丹」が催されますで触れています。

 契丹の可汗や身分の高い人の副葬品がメインで、実際の生活で使う道具や庶民に関わるものは少なかったような気がします。ただ、身分の高い人でさえも、携帯型の錐(きり)といった草原で使う小道具群を懐に持っていたところに、自らが牧畜民であるという気風を感じました。

 特別展「草原の王朝 契丹」が催されます、あるいは十三湊の勃興と衰亡で触れたとおり、牧畜や狩猟の民の国である契丹は、黄金に対して格別の思いがあったようです。多くの展示品が鍍金製品でした。

 契丹の公主(皇室でいえば内親王にあたる)の副葬品と思われるものは、贅を極めつつ、どこか可愛らしいものがありました。龍を象った小さな腕輪があったのですが、これは持ち主の公主が女児といえるほど幼かったのではないかと思われます。もちろんそれは現代日本人の尺度なのかもしれません。

 馬具や装飾品等に織り込まれた人物のモチーフは、やはり牧畜民の特徴が出ていました。つまり、多くが頂の尖った帽子を被り、袖がすぼまった、そして丈も靴が見える程度の長さの服を着ているということです。

 しかしながら宗教的なものの中には、漢人の宗教である道教(特別展「道教の美術」を観ました参照)を取り入れたものもあり、被り物の天辺に道教の神か道士、つまり袖が広く、丈も引きずるほど長い衣を着たモチーフを付けたものもありました。

 今回の契丹の文化に限らず、日本の物も含めた多くの古い文物を見る度に思うのですが、赤や紅、緋色の塗料は、他の色が剥げた後もよく残っています。今回の彩色木棺や釈迦涅槃仏、名を失念したのですがほとんど材料の石の色が出てしまっている人物像に、赤や緋だけは若干残っていました。

 「草原の王朝 契丹」公式サイト「展覧会のみどころ」にある、契丹の勢力図を見るとよく分かるのですが、漢人国家である宋は、北方を遼(契丹)、西を西夏(せいか)、吐蕃(とばん)と、叛服常ならない国々に囲まれていました。契丹は時に自身が宋と事を構えながら、反面、宋と他の国との休戦の仲介等も行い、当事国以上の利を得たりしました。宋が西の国々との仲が上手くいっていない時、契丹は宋と西域の通り道にもなったと思います。交易品と思われる物は西のイスラム世界のものまであり、国際色豊かでした。

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 一つの特別展に3種用意されたチラシ。

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 裏面は3種とも同じです。3種刷ることの意義を全く感じないのですが…。橋下徹大阪市長がこれをご覧になったら、どうお感じになるでしょうね。

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 来る平成24(2012)年9月15日から11月25日まで大阪歴史博物館で、特別展「ウクライナの至宝 スキタイの黄金美術の煌めき」が催されます。

 司馬遼太郎の「街道をゆく」の「モンゴル紀行」に、馬に乗り、簡便な幕舎に住み、家畜を逐って移動するという生活を編み出したのは、スキタイであるとあった記憶があります。

 NHK特集「シルクロード」第2部オープニング映像のスキタイ・サカ族の黄金人間や、第5集「炎熱・イラン南道」でのペルセポリスの様々な民族の朝貢使節を描いた浮き彫りの映像の中に、尖った帽子のスキタイ人がいました。頂が尖った帽子はその後、匈奴や契丹、そして元寇の敵兵の兜にまで継承されています。


「草原の王朝 契丹」
http://kittan.jp/

特別展「草原の王朝 契丹」(大阪市立博物館)
http://www.osaka-art-museum.jp/special/kittan.htm

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by manewyemong | 2012-04-20 10:12 | | Comments(0)

シンセサイザー、デコラティブジャパン(絢爛な日本)文化、絵巻、屏風、浮世絵、都市散歩、神社が好きです。鈴木春信の春画「風流艶色真似ゑもん」にちなみました。


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