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追悼 東祥高さん

 平成24(2012)年10月11日、作曲家/シンセサイザー奏者の東祥高(あずま・よしたか)さんがお亡くなりになりました。

 日本の、そして特に関西のシンセサイザー黎明期から、既に活動をされていた人です。フォークグループ「五つの赤い風船」の元メンバーで、後にシンセサイザーを駆使した音楽の制作を始められました。

 東さんは昭和22(1947)年、奈良県大宇陀町のお生まれです。大宇陀町は平成18(2006)年、宇陀市となりました。宇陀市の市歌「うるわしの里 宇陀のまち」の作詞作曲は東さんです。

 昭和55(1980)年、私がよく行くレコード店が発行していた、取り扱っているアルバムLPに寸評を添えてカタログ化した小冊子の中の「シンセサイザー音楽」なるジャンルのページに、冨田勲、神谷重徳、東海林修、喜多郎といった方々と並んで、東祥高さんのお名前と作品評がありました。それをきっかけに日本コロムビア時代、言い換えればアナログシンセ時代の東祥高さんの作品を聴くようになりました。

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 キーボードマガジン昭和56(1981)年12月号の記事で、東祥高さんが朝日放送で「シンセワールド」というラジオ番組のDJをされている事を知りました。

「シンセーワールドシンセーワールド、1度〜聴いたらやめられない、皆で聴けば〜こわくない…」

という歌詞のあのテーマ曲を知っている関西人は、おそらくその頃、既にシンセを始めていたか、私のようにカタログを集めていたような人だと思います。

 シンセに興味を持っている人間が、私が通う中学校に私を含め二人だった頃、番組中、時に「VCO」「エンベロープ」といった語彙が出て来るだけで、妙な興奮をおぼえていました。夜は苦手なのですが、毎週放送時間を心待ちにしていました。

 また、この頃、雑誌のインタビューやお書きになった記事をよく読みました。

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 例えば、サウンド&レコーディングマガジン昭和57(1982)年2月号(創刊2号)の「SYNTHESIZER HOME RECORDINGベーシック編1」は東さんの手によるもので、機材の列挙やニュートンスタジオのグラビアもありました。ニュートンスタジオのグラビアは、東さんの記事だけでなく、他のシンセ記事の中にもよく使われていました。ちなみに「ベーシック編2」は、姫神せんせいしょんの星吉昭さんでした。

 昭和58(1983)年、東さんのニュートンスタジオのシンセが、アナログ(ARP ODYSSEY、minimoog、custom minimoog、polymoog、moog the source、Oberheim Synthesizer Expander Module 4VOICE、Roland SYSTEM-700、VP-330SEQUENTIAL CIRCUITS prophet-5等)からデジタル(FAIRLIGHT C.M.I. II、E-MU EMULATOR、PPG wave2.2等)に完全に変わりました。

 同年のキーボードマガジンのインタビューに、アナログには良い所もあるが悪い所もあるから、とその理由を明かしていらっしゃいました。後にKURZWEIL 250やC.M.I. III、E III、そして当時日本では小室哲哉さんのものを含め2台しか無いAUDIO FRAME(オーディオフレーム)等が加わりました。

 私が東祥高さんの作品の影響を色濃く受け始めたのは、この頃からです。

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 NHK関西圏「きんき紀行」「平城京ロマンの旅」「ちょっといい旅」のあの軽快なテーマや、NHK「国宝への旅」の清澄な、そして時に重厚なBGM、アメリカ・プライベートミュージックレーベルから出たアルバム「AZUMA」「Wanderer」、NECアベニューからの「救いの宇宙」「阿騎野(あきの)」「やまとしうるわし」等を聴きました。

 特に音色の存在感が、単にデジタルであるからだけではなく、例えば吹奏系に息継ぎの間(ま)を入れる、ストリングスだと弓の上げ下げを意識するといった事等に起因しているのを、東さんの作品で気付き、採り入れました。結果、稚拙ながら自分の演奏に、より有機的なマニュアル感が加わった事を実感しました。

 また、私はリズムパートを所謂キーボードラムでベロシティを効かせ、いかにも「一打ち一打ち違うでしょ?」と言いたげな多くのキーボーディスト達の演奏に、時に小細工感ともいうべき違和感を感じていたのですが、アルバム「阿騎野」の「燃える阿騎野ヶ原」の和太鼓のサンプル音に一切ベロシティがかかっていないのに味気なさが感じられない事に感銘を受け、以後通常のリズムにはアクセントを加える程度にしました。

 いずれにしても、単にピアノやオルガンからの持ち込みではない表現を、東さんのデジタルシンセ作品が教えてくれたと思います。外国人や幼い頃からピアノ/オルガンを習っています的な人達のシンセ演奏がどうも好きになれないのですが、私にそういった事から外れた演奏を聴かせてくれるのは、東祥高さんはじめ、日本の演奏家ばかりです。日本人は、シンセサイザーの製造だけではなく、表現にも長けた民族だと思います。

 平成22(2010)年12月、東祥高さんと会食する機会を得ました。ニュートンスタジオのある建物の1階の、小松左京さんもよく利用したお店です。

 最初は気後れしてあまり話せなかったのですが、東さんの諸作品の話題になった時、多産の作家である東さんは曲の構成等を急には思い出せず、結構細部にわたって憶えている私が、僭越ながら時にフレーズやシンセ音色の口真似を交えた解説をさせていただきました。急に熱が入って饒舌になり、作者本人に向かってまるで我が事のように作品のディテールを滔々と語る、はなはだどあつかましい私が滑稽だったのか、しまいにはテーブルの上に突っ伏し、頭を抱えて笑ってしまわれました。その後、黎明期のシンセのお話から自作品の事に至るまで、本当に様々な事を教えていただきました。

 この席の後、上の階のニュートンスタジオを案内していただけました。既に海外製の大鑑巨砲主義的なモデルは一線を退いていて民生機が主だったのですが、それでもプロの音楽家のえぐい機材群に目をみはり、また、ここで作品群が生まれたのかと、しばし感慨に耽りました。

 東さんが「これ、持っていき」と物置の棚から下ろして来たのは、通常とは違う姿をしたminimoog(ミニモーグ)でした。「SYNTHESIZER HOME RECORDINGベーシック編1」記事中カスタムミニムーグとされた個体です。Roland SYSTEM-700と併せて使う為に、簡便なパッチングができるように改造が施されていました。昭和58(1983)年にニュートンスタジオからアナログシンセが去っていく中、ただ1台、この場所で27年余眠りについていました。

 固辞したのですが、結局いただきました。今、大きな招き猫のビオンボ嬢と並ぶ看板娘として、たくまざる愛嬌と、アナログシンセ嫌いの私をして顔色を失わせしめる凄みのある音を出してくれています。

 結局その月に私は東さんと4回席を同じくする機会を得、その後、私は開店準備に没入し、お目にかかる事はありませんでした。

 昨日(平成24:2012年11月29日)implant4さんにお邪魔したおり、東さんの訃報がツイッター上にある事を知らされました。正式な発表は無いものの、五つの赤い風船のメンバーの方のつぶやき等から、それが事実であると認識しました。

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 願わくば、東さんの日本コロムビア時代をはじめその後の作品を、東さんを知らない人達も聴く事ができるようになればと願っています。できればCDという形、そしてアルバムのほとんどに添えられた小松左京さんのライナーノーツを再録する形で…。

 私が東さんの作品の中で最も好きな曲は、アルバム「阿騎野」に収められた「光の舞」という小品です。静かな出だしの後、前半で不意に光が差し込んで来たようなクライマックスが起き、その後その余韻が静かに続いて消えるという、簡素な、しかし東さんの清澄な美意識が凝縮されたような、大変美しい曲です。

 素晴らしい作品を聴かせてくれた東祥高さんに、感謝したいと思います。ご冥福をお祈りいたします。

 追悼 東祥高に捧ぐ 篠笛の響きコンサート、および追悼 東祥高に捧ぐ 篠笛の響きコンサートを聴きましたに続きます。


平成25(2013)年3月9日追記。

 日本コロムビア時代、つまりアナログシンセサイザー時代の東祥高さんのアルバムが、来る4月17日、再発されます。

東祥高 エイシアン三部作
http://columbia.jp/azumayoshitaka/

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by manewyemong | 2012-11-30 14:01 | 音楽 | Comments(0)

「あのシンセサイザー奏者が出しているあのシンセサイザー音はあのシンセサイザーで出してんのか!いっちょあのシンセサイザー買いにいくか!」よりも、「価値あるものを買うのではなく自分で価値を作れる人間は強い」(岡崎武志「女子の古本屋」より)でありたいと思います。


by manewyemong