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「東日流笛」(アルバム「東日流」より)

 「東日流笛(つがるぶえ)」は、ヤマハのフィジカルモデリング音源のシンセサイザー、VL1(「東日流笛」の東日流笛 YAMAHA VL1参照)による吹奏感に富んだ笛風の電子音と、佐久間順平さんによる間奏部分のバンドゥリア(スペイン生まれの撥弦楽器)の、ともにどこか冷(さ)めた演奏が印象的です。リズムパートが無くデジタルシンセやMIDIの使用開始以降の楽曲としては屈指のシンプルな構成です。

 私が暮らしている京阪神地区は山地に囲まれた狭隘(きょうあい)な土地で、既に古代末期には平地はあらかた都市化か耕地化されてしまっていたそうです。しかし、関東や東北は平地が広大で、なおかつそこに未だ森が残っています。東京都民だった頃、東武東上線やJR常磐線、外房線等に乗って郊外に出ただけで外国へ来たような気になったものです。

 平成6(1994)年7月、私はバスで岩手県盛岡市から十三湖畔の青森県市浦村へ向かったのですが、東北自動車道を降りる頃、景色があまりにも真っ平らで海のように茫洋としているのにたいへん驚かされました。

 その時から米米(こめマイ)ロードの真直ぐな道を行く間中、私の脳裏で「東日流笛」が鳴っていました。実際には耳から聴こえているわけではないその曲を聴きながら、十三湊から平泉や多賀城へ向かうキャラバンを空想してみたり、種田山頭火(たねだ・さんとうか)の、

 まつすぐな道でさみしい

という自由律俳句を思い出したりしました。

 姫神・星吉昭さんが某冊子に寄稿した十三湖畔に関する文の中に、「私が何かを問いかけていかないと何も答えてくれない自然」という意味の記述があります。読んだ当初、私にはその意味がさっぱり分かりませんでした。しかし、米米ロードを走り抜けて、太宰治が小説「津軽(つがる)」の中で「孤独の水たまり」と表現した十三湖に着いた時、そのお言葉を実感できました。

 「東日流笛」は、黙して語らず、ただただ泰然とそこに存在する十三湖の、何もかもが大づくりな自然の中に佇む、星さんの自画像のように感じました。私は姫神・星吉昭さんが生涯お作りになった楽曲の中で、この曲を最も愛しています。
by manewyemong | 2006-01-05 19:21 | 音楽 | Comments(0)