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片野のキジ

 5月6日にエントリーした「大絵巻展」の中で、「十二類絵巻(じゅうにるいえまき)」について触れました。

今回の出展品の中で私が最も気に入ったのは「十二類絵巻(じゅうにるいえまき)」です。十二支達が鹿を酒席で歓待する場面、登場する動物達がいずれも束帯姿で、動物というより人間が馬や羊(というよりヤギに見える)等のかぶり物をかぶっているようなユーモラスな光景です。そういえばよく似た馬や鶏のかぶり物を「タケちゃんマン」でビートたけしさんが使っていらっしゃいました。「十二類絵巻」の動物達は多くが台詞を言っているのですが、ティム・バートン監督の映画「猿の惑星」で猿達が食事をしながら社会や家庭の問題を口々に話すシーンを思い出しました。動物を擬人化、それも生活感を込めている所が似ています。

がそれなのですが、この場面で十二支の戌(いぬ)が、「これは片野のキジでございます」と言って1羽のキジを差し出しています。この“片野のキジ”と、4月15日にエントリーした「青天」(アルバム「まほろば」より)で触れた、私が淀川河畔でよく見かけるキジに、その後、意外な関係があることが分かりました。

 私は、

今の時期、もうすぐ淀川べりの空き地や水を引いていない田んぼにレンゲのお花畑が現れるのですが、その中に腰を下ろしていると、市街地近くなのにすぐ近くにキジの雄鳥が来ることがあります。背伸びをしながら「ケーッ、ケッ」とけたたましい声で鳴いた後、翼をばたつかせる仕草をします。雌鳥に対するアピールや縄張りの主張をしていると思われます。 しばらく身動きを止めて観察するのですが、たいていキジの方もこちらに気付いていて、目線を合わすと、人間に対する警戒心と若干の興味がないまぜになったような気持ちが伝わって来るような気がします。私にとって本当の意味で自然と交感できる数少ないひと時です。


やがてキジが去り、身動きを止めることの緊張感から解放されて、目の前のレンゲの明るい紫色に意識が還った時、私はいつも姫神のこの「青天」を思い出します。

と書いたのですが、この場所の近くにアテルイの首塚で触れた片埜神社(かたのじんじゃ)があります。片野と片埜神社、もしや何か関係があるのではと思ったのですが、片埜神社は平安時代、欽明天皇の勅願によって「片野神社」と称していたということ、そして片埜神社のある一帯は交野ヶ原と呼ばれ、朝廷のお狩場や牧場だったということを教えていただきました。

 もちろん断定はできませんが、「十二類絵巻」の片野のキジはかつての交野ヶ原に生きていた。そして、私が淀川河畔でいつも見る野生のキジ達は、平成時代の半ば都市化された交野ヶ原に生きる片野のキジということなのでしょう。

 私は「青天」アップ後も、何度か自転車でアテルイの首塚や片埜神社にお参りに行きました。その往路復路、相変わらずキジ達が鳴き交わながら、ほんの一瞬、あの優美な姿を見せてくれています。

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by manewyemong | 2006-08-05 19:08 | 博物誌 | Comments(0)

「あのシンセサイザー奏者が出しているあのシンセサイザー音はあのシンセサイザーで出してんのか!いっちょあのシンセサイザー買いにいくか!」よりも、「価値あるものを買うのではなく自分で価値を作れる人間は強い」(岡崎武志「女子の古本屋」より)でありたいと思います。


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