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 私が喜多郎さんの作品の中で最も気に入っている「1000女王」オリジナルサントラ盤とそこに収録された楽曲、あるいは劇中でのみ使用されたBGMに関する記事を予定しているのですが、その前に東映動画制作のアニメーション映画「1000年女王」について、あくまで断片的にですが雑感を記したいと思います。

 この映画のBGMへの喜多郎さんの起用は、アルバム「OASIS」のライナーノーツを松本零士さんが担当した事が縁だと聞きました。またこの頃、NHK特集「シルクロード」の音楽の成功でちょっとした喜多郎ブームが起こっていた事も起用の理由の一つだと思います。

 この映画公開の数ヶ月後、喜多郎さんは初めての全国ツアーを敢行するのですが、チケットを手に入れる為に発売日にかなり早めにチケット売り場へ行った所、すでに長い行列が出来ていました。このツアーに関して大阪では追加公演も行われました。今日とは隔世の感があります。

 映画「1000年女王」は昭和57(1982)年3月に公開されました。原作は松本零士さんが産経新聞に連載していた漫画です。また連載と平行する形でテレビアニメも放映されていたのですが、劇場版はこの頃流行っていたテレビシリーズを編集構成したものとは違い、完全なオリジナル制作でスタッフもテレビとは別編成でした。

 舞台は1999年の東京や筑波山麓なのですが、都内は自動操縦の浮遊自動車が透明チューブ道路の中を走り、筑波市街中心には巨大な塔(原作ではたしか1000メートルタワーとなっている)がそびえていました。

 平成11(1999)年、私は東京に住んでいましたが、浮遊自動車も透明チューブ道路も見る事はありませんでした。ただ林立する高層ビル群は西新宿や臨海副都心でこの映画そのままに実現しています。

 アニメーション部分の絵柄に関して「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」よりも、松本零士さんの漫画のタッチにより近いものがありました。背景画は春霞みのラーメタル星の都市の淡い景観や硬質な東京の景色、銀河系とそれと同規模の小宇宙が交差するシーンが印象に残っています。

 私はこの映画が公開された頃日本画に興味を持っていたのですが、白いマスクをかけピントをぼかして撮影したと思われるラーメタル星の都市の遠景や主人公雪野弥生の居室が、およそ日本とはかけ離れたモチーフであるにも関わらず日本画に似ているような印象を持ちました。

 そういえばラーメタル星を発進した巨大な宇宙移民船が画面右奥の地球に向かって進んでいくカット、構図が広重の浮世絵的な感じがしました。このシーンを描いたのは金田伊功(かなだ・よしのり)さんというアニメーターなのですが、この人が描いた「さよなら銀河鉄道999-アンドロメダ終着駅-」での、戦闘衛星が999号の客車を後ろから1両ずつ撃ち落としていくシーンの乗客が前の車両に退避していくカットが、「大絵巻展」で触れた「信貴山縁起」の「飛倉巻」での慌てふためく人々の動きに酷似しています。ちなみに金田伊功さんは奈良県の出身だそうです。信貴山は奈良県にあります。

 多くの小説や映画等で異星人と地球人の戦いが描かれる場合、たいてい終盤あたりまで科学力に勝る異星人側が優位に立っているものなのですが、この「1000年女王」は開戦当初から地球側が圧倒的に優勢で、主人公の中学生が博物館に動態保存展示されていた零式艦上戦闘機(ゼロ戦)を駆って、ハイテクの塊であるラーメタル星の戦闘機と戦ったり、弩(ど:据え付け式の弓。射手の声を松本零士さんが担当していました)や投石機、銃を手に戦う地球人(関東平野在住の人々、その中には松本零士さんのお姿もありました)が、あっという間にラーメタル星のエスタブリッシュメント達が乗った巨大な宇宙船になだれ込んでいきました。

 科学力では遥かに勝るものの戦争を知らないラーメタル人を地球人が殺しまくるというシチュエーションは、松本零士さんの人類への痛烈な皮肉と、しかしこういう局面では断固戦わなければならないという二つの考えが込められているような気がしました。二つの星の共生を願った1000年女王はその仲裁の最中に負った怪我がもとで命を落とし、生き残ったラーメタル人はその棺を奉じて宇宙の彼方へ去っていきました。

 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」などという間抜けな前文の憲法を推し戴き、安直に共生を口にする平和ボケした日本人(インターネットのおかげでかなり減りましたが)を見るにつけ、現実はこの映画のようにはいかないと思います。日本を窺(うかが)う国々は、ラーメタル人のように理知的でも謙虚でも心優しくもありませんから。

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 映画「1000年女王」パンフレット。

 「1000年女王」オリジナルサントラ盤について(1)に続きます。

 姫神の野外公演に関して(1)からの続きです。

 コンサートに足を運ぶ人には2種類あると思います。コンサートを“観に”行く人、そして“聴きに”行く人。私はもちろん後者なのですが、こういった事に関する象徴的な野外公演が、平成8(1996)年岐阜県郡上郡白鳥町(ぐじょうぐんしろとりちょう:平成16年、同郡7町村が合併して郡上市となりました)の白山長滝(はくさんながたき)神社でありました。

 姫神はこの神社の境内で、昭和63(1988)年、平成4(1992)年、平成8年といずれもオリンピックイヤーの夏に、「姫神白山夢幻奏」と題して公演を行っています。私が聴きに行ったのは平成8年の公演です。

 白山長滝神社で姫神の公演が行われた理由は、白鳥町石徹白(いとしろ)の白山中居(ちゅうきょ)神社に、奥州藤原氏3代秀衡が元暦元年(1184年)に寄進した金堂虚空菩薩像があることを縁としてだそうです。余談ながら神社で菩薩像を祀る事からも分かるとおり、この地区は明治の廃仏毀釈前の神仏混淆の形態を今に伝えています。

 会場の境内に足を踏み入れた瞬間、その環境に失望しました。客席と左側PAの間に大きな碑があるのと樹木の枝がかかっていたからです。これではステレオ音場の音量バランスがとれないなと思ったのですが、公演が始まると音の感触は私が予想したのと寸分変わらないものでした。

 もちろん右側の音量を下げるといった工夫はしたのかもしれませんが、最初から最後まで耳についた微妙な違和感が払拭される事はありませんでした。あの環境はあれだけの聴衆を集めてアンプやスピーカーを駆使した公演を行うには不向きな場所でした。

 視覚効果という観点から見れば、白山長滝神社境内は素晴らしい環境でした。本殿の裏にレーザー光線の装置を設置し、照射された光線が本殿の中を通って、聴衆の眼前に光の雲やサンスクリッド文字(白山長滝神社が神仏混淆されていた関係でしょうか)を描き出すといった演出がされました。森に覆われた半ば閉鎖的な空間故か、スモークが濃くこもったことが効果を増していました。境内の厳かな雰囲気と併せて、“観に”行った人はたいへん満足したのではないでしょうか。

 野外公演の負の側面の一つである、観る側の人間の緊張感の希薄さは、私が足を運んだほとんどの野外公演で多かれ少なかれ感じさせられました。特に平成6年の十三湖、平成9年の三内丸山遺跡での公演は、世間話に興じる者、うろうろ歩き回る者がいて、コンサートとしての体(てい)が完全に崩壊していました。

 長滝神社の公演でも、演奏が始まっているにも関わらず私語をしている人間がいたので、黙らせました。あの日あの公演に来られた方で、公演冒頭に一瞬、関西弁の甲高い怒号が飛び、客席から水を打ったように私語が途絶えたのをご記憶の方がいらっしゃるかもしれませんが、あれが私の声です。曲が始まっているにもかかわらず会話が出来る人間は、まぎれもなく“観に”行っているタイプでしょう。

 また長滝神社公演終演後、公演PR用ののぼりを盗んで行く連中を目にしました。あんな物を何に使うのか、何の値打ちがあるのかさっぱり分からないのですが、その行為を糾した所、連中の言い分は「ゴミになるよりいいじゃないか」でした。何に使うのか知りませんが確かに彼等ならゴミにはしないかもしれません。しかし物事には順番があります。

 こういう連中に限って姫神の公演の感想を聞かれて「心が洗われました」などとどこかから持って来た定型句を機械的に述べるしか能が無い。姫神の野外公演は神社仏閣の境内で行われる事が多かったのですが、神社の拝殿や寺院の本堂といった建物は、こういった連中にとって、果たして舞台セット以上の意味があったのでしょうか。吉本新喜劇の舞台上の海や山みたいに、単に背景に描かれた絵でもよかったのではないでしょうか。

 この記事の最初の方で挙げた歴史的見地からの会場選定は、こういった連中には全く意味が無いと思います。

 もし主催者側が音響にこだわる形で野外公演を行うのであれば、会場の選定はシビアに行うべきだと思います。さもなくば野外公演は観せるものと割り切るかでしょう。


白山長滝神社(「神社ふりーく」より)
http://www.7kamado.net/h_nagataki.html

白山中居神社
http://www.hakusanchukyojinja.org/
# by manewyemong | 2006-12-27 22:19 | 音楽 | Comments(0)
 しばらくご無沙汰しているので、今回は久しぶりにシンセサイザーに関するお話を記したいと思います。年末年始、シンセサイザーを弾くまとまった時間があると思うので、シンセ関連の記事は増えるかもしれません。

 私は昭和63(1988)年春にコルグのワークステーション機M1を手に入れて以降、手許にあったアナログシンセKORG Mono/PolyRoland SH-101に触れる事はほとんど無くなりました。せいぜいKORG M1ではできないポルタメント、LFOの波形をランダムにした効果音、パルスウィズモジュレーション(両機はLFOだけでなく、EGでも変調できました)系といった音を使う時に引っ張りだす程度になっていました。

 鍵盤にベロシティやアフタータッチがある事、X/Y方向に同時に動かせるジョイスティック、そしてなによりデジタルアクセスコントロールによるDEC(decrement)/INC(increment)ボタンでパラメーター、特にMG(コルグがLFOという呼称を使うようになったのは、たしかWAVESTATIONやProphecy、TRINITYからです)やEGのバリューを細かく調整できるようになった事がその理由です。

 Roland SH-101は平成5(1983)年の年明けに、KORG Mono/Polyは平成9年の夏に売却しました。両機とも持ち主の私が言うのもなんですがなかなかの美品だったのと、特に前者は立奏用のグリップやストラップがあったこともあり、耳を疑うような値段で買い取っていただけました。

 私は大事に取っていたものが意外な値段でカネに換わる事がままあり、アップルコンピュータのパソコンMacintosh ClassicやColor Classic IIに結構なお値段をつけて買い取っていただけました。物は大事にするものですね。ただ、年賀状の宛名書きにしか使わなくなった初代iMacは、今後も値段は上がりそうにありません。

 話を戻します。時は流れて今年始め、例の電気用品安全法、所謂PSE法の話が持ち上がった頃、中古楽器店の商品のアナログシンセに触れる機会を得ました。ノスタルジックなルックスや出音の輪郭の淡さが新鮮だった事もあり、店頭でまとまった時間触らせていただいたのですが、漫然と鳴らしているうちは良かったのですが、さて自分の音を作ろうかという段になると、すぐに壁にぶち当たりました。

 VCFやLFO、EGの変化が、緩慢過ぎるかと思えば、あるポイントを境に急にいびつになったりで、とても自家薬籠中のものにできる代物ではありませんでした。それが経年劣化による問題なのかアナログの特性なのかは分からないのですが、アナログシンセは大雑把に音は作れても、私の細かいこだわりに追従してくれる代物ではないということを痛感しました。

 またRoland SH-201試奏記で、
加齢のせいか昨今長時間シンセの前に座っていることができず、現実問題として“能率”を考慮せざるを得なくなってきています。デジタルアクセスコントロールの緻密さや幅の広さをとるか、つまみ/スライダー操作による能率をとるか、思案中
としたのですが、アナログモデリング、つまりデジタルシンセであるRoland SH-201やちょうど10年前の今頃登場したRoland JP-8000にしても、いざLFOやEGまわりのパラメーターを操作するにあたって、どうしてもつまみやスライダーを爪の先で突くように微妙に操作しないと目的とするポイントを探り当てる事ができず、精神的にかえって消耗してしまい、結果的に私にとって非能率的な楽器あるという評価を下さざるを得ませんでした。

 Roland SH-201はUSBを介してパソコンのデスクトップでエディットする事が可能なのですが、私はシンセサイザーまわりに関してパソコンを一切使わない事にしている(理由はいずれ…)ので、この方法をとることは出来ません。

 コルグのアナログモデリングシンセMS2000シリーズRADIASは、つまみ操作とデジタルアクセスコントロールを併用して音作りが出来るので、もしつまみ操作型シンセを手に入れるとしたらこのあたりなのかなと思っています。

 またmicro KORGはつまみを回した時に表示されるLEDの語彙や数値が、意外に細かく変わってくれるので、これも捨てたものではないなと思っています。MS2000シリーズやRADIASもそうなのですが、つまみ位置が先にデータをセーブした値に来た場合、オリジナルバリューランプが点いてくれることも便利です。

 KORG MS2000シリーズやRADIAS、micro KORG、ELECTRIBEシリーズのLFOのレイトは、最速にするとワークステーション機のそれよりも遥かに速く、効果音に使ったら面白そうだなと思っています。姫神せんせいしょんのアルバム「姫神」のラストナンバー「風光る」で、イントロ等でステレオ音場を左右に動き回る効果音がありますが、これはLFOのレイトをかなり早く設定できるアナログシンセを使っているはずです。機種は分かりません。

 いずれにしても、デジタルアクセスコントロールによるDEC/INCボタンやダイヤル、テンキー入力による緻密なエディットでしか、私は私の音を作れないのだという事を痛感しました。今後も私のメインシンセはワークステーション機のようです。


KORG WAVEATATION
http://www.korg.co.jp/SoundMakeup/Museum/WAVESTATION/

KORG Prophecy
http://www.korg.co.jp/SoundMakeup/Museum/Prophecy/

KORG TRINITY
http://www.korg.co.jp/SoundMakeup/Museum/TRINITY/

KORG micro KORG
http://www.korg.co.jp/Product/Synthesizer/microKORG/

KORG MS2000B/2000BR
http://www.korg.co.jp/Product/Synthesizer/MS2000B/

KORG ELECTRIBE R mkII
http://www.korg.co.jp/Product/Dance/ER-1mkII/

KORG ELECTRIBE MX
http://www.korg.co.jp/Product/Dance/EMX-1/

KORG RADIAS
http://www.korg.co.jp/Product/Synthesizer/RADIAS/

Roland SH-201
http://www.roland.co.jp/products/mi/SH-201.html

 宮沢賢治に「月のほのほをかたむけて」という詩があるのですが、その詩と姫神せんせいしょんの「月のほのほ」とは、私の中で特に結びつきませんでした。

 私はアルバム「姫神」で、

このアルバムを聴いた当時、私は浮世絵や屏風絵に関心があり、学校の図書室でそれらに関する蔵書を見ていました。そのせいか各曲から得たイメージが、日本画及びその画法による色彩に関するものが多い

としました。

 「舞鳥」では「江戸名所図屏風(えどめいしょずびょうぶ)」という屏風絵を、そして「七時雨」では葛飾北斎の「富嶽三十六景」の「駿洲江尻(すんしゅうえじり)」という浮世絵を挙げたのですが、「月のほのほ」に関しては、歌川(安藤)広重(うたがわ/あんどう・ひろしげ)が描いた夜空に白金色の満月が浮かぶ浮世絵、「東都名所」の「吉原仲之町夜桜」、「名所江戸百景」の「月の岬」「猿わか町よるの景」といった作品を想起しました。

 「吉原仲之町夜桜」「月の岬」「猿わか町よるの景」と並べると、この順番で月が高く昇っていくのですが、「月のほのほ」も曲が進むに従って月が高く昇っていくような感じがします。

 前半部分のオートベンドやポルタメントのかかったリード(2種)、撥弦風のシンセ音、ステレオ音場の両端に配された二つのオスティナートといったパートは、いずれも「吉原仲之町夜桜」に描かれた夜の廓やそこへ入っていく人々を、アコースティックギターのストラミングは月光に映える夜桜の並木を、そして冷涼な感じの笛の音は広重の得意な白金色の満月を思い浮かべました。

 お座敷小唄や「猫じゃ猫じゃ」といった俗曲のように聴こえる間奏部分が、私には何だか艶っぽく感じられます。広重の「月の岬」に描かれた、障子に隠れた女の影と僅かに見える男(もしかしたら女かもしれませんけど…)の着物の端、それまで2人が寄り添って箸をつけていたであろう酒肴の散らかり、品川沖に浮かぶ舟、夜間飛行する鳥のV字編隊、そしてこれら全てを見つめ、絵の中の2人の“これから”を見つめる中空の月…。「月の岬」のキャラクター達を、「月のほのほ」の間奏部分のそれぞれのパートが演じ描いているように思えました。

 お座敷小唄のようなフレーズの「シュッ」という音の混じった笛は、通常姫神せんせいしょんが笛に使っていたRoland SH-2KORG Polysix笛、さまざま2参照)ではなく、VCF、VCAが個々にEGを持ったアナログシンセサイザーで作ったと思われます。

 「月のほのほ」の後半はリズムパートが加わり、前半の各パートが頻繁に入れ替わったり絡んだりしながら、次第に高揚していきます。この後半部分は広重の「猿わか町よるの景」と結びつきました。

 「猿わか町よるの景」は三座(市村座、中村座、森田座)のある猿若町の夜を描いたものですが、櫓(やぐら)のある三座はいずれも灯りが点いていないので、恐らく三座とも休館日だったと思われます。芝居見物に来てアテが外れてしまったであろう人々(人々の歩く向きが廓へ向かう「吉原仲之町夜桜」と違い同一方向ではない事から想像しました)、小屋が休館でも営業している芝居茶屋から漏れる灯り、そしてそれら猿若町の一瞬を照らす高く昇った月の光。

 「月のほのほ」後半の高揚感は「猿わか町よるの景」と同様、天空の月と下界のコントラストをよりはっきり描いているように思われます。

 私が挙げた広重の三枚の浮世絵は、いずれも廓、海の見えるお座敷、芝居小屋といった、非日常的空間と月を組み合わせた作品ですが、「月のほのほ」も、普段とは違った場所や事件に遭遇している人間の気持ちや、それを照らす月明かり(月のほのほ)が、一段の幽玄な音楽としてまとめられているような気がしました。

 電気が無かった時代、夜に最も明るく輝く存在は月でした。姫神せんせいしょんの「月のほのほ」に、イルミネーションに邪魔されなかった時代の月と、その下で繰り広げられる数多(あまた)の人間模様を想起しました。

 ちなみに「星はめぐり」(アルバム「姫神風土記」より)の中で採り上げたゴッホの「夜のカフェテラス」は、「猿わか町よるの景」に強い影響を受けた作品です。「月のほのほ」は、広重、ゴッホ、姫神という、月夜や星空を描く事に長けたアーティスト達が、私の中で交差した作品です。


ANDO HIROSHIGE FAMOUS PLACES OF THE EASTERN CAPITAL
(東都名所)
http://www.hiroshige.org.uk/hiroshige/views_edo/edo_kikakudo_sanoki_1833_43/edo_kikakudo_sanoki_1833_43.htm
英文です。

Cherry Blossoms Yoshiwara(吉原仲之町夜桜)
http://www.hiroshige.org.uk/hiroshige/views_edo/edo_kikakudo_sanoki_1833_43/images/cherry_blossoms_yoshiwara.jpg

ANDO HIROSHIGE ONE HUNDRED FAMOUS VIEWS OF EDO
(江戸名所百景)
http://www.hiroshige.org.uk/hiroshige/100_views_edo/100_views_edo.htm

Moon Promentory(月の岬)
http://www.hiroshige.org.uk/hiroshige/100_views_edo/images/100_views_edo_082.jpg

Night View of Saruwakacho(猿わか町よるの景)
http://www.hiroshige.org.uk/hiroshige/100_views_edo/images/100_views_edo_090.jpg

「ゴッホ・夜のカフェテラス」(「名画デスクトップ壁紙美術館」より)
http://stephan.mods.jp/kabegami/kako/2CafeTerrace.html

フィンセント・ファン・ゴッホ「夜のカフェテラス」
(テレビ東京「美の巨人たち」より)
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/f_050709.htm

# by manewyemong | 2006-12-18 14:30 | 音楽 | Comments(0)
 世界中の姫神ファンで唯1人?、野外より劇場での公演を希求して来た私にとって、姫神・星吉昭さんの晩年に、姫神の劇場公演が増えたことは大変喜ばしいことでした。

 かつて劇場公演が寡少だったのは、星さんご自身の弁によると“需要と供給の問題”だそうです。私は「神々の詩」は嫌いですが、この曲のヒットが劇場公演の増発をもたらしてくれたことは、感謝すべきなのでしょうね。

 私は以前から、姫神ファン達の野外公演を評しての「自然との一体感を憶えた」等という、どこかから借りて来たような言辞に、全く釈然としないものを感じて来ました。スピーカーから放たれる大音響の中にいて、そこから見える山だの海だの夜空だのの見てくれの美しさに感じ入ったとして、それがなぜ“自然との一体感”なのでしょうか。人口美に満ちた音空間にいて感じる美意識がなぜ“自然との一体感”なのでしょうか。

 野外公演中、カラスがやかましく鳴いていたことがあります。まさかあれを「カラスが姫神と共演した」などと言う人はいないでしょう。否、そんなことを言い出しかねない人間の顔や氏名、ハンドルネームが、いくつか思い浮かびました。

 野外公演での「天翔る」(アルバム「ZIPANGU姫神」より)の演奏の時、3連装2基の巨大な投光機を上空に向けて照射するのですが、あれは自然(特に夜間飛行している渡り鳥)にとってありがたいものではないはずです。公演前に環境アセスメントのようなことがきちんと為されていればよいのですが、聴衆が愚直に自然との一体感とやらを感じている裏で自然の側が迷惑を被っていたら、本末転倒です。

 野外公演は、花見客やオートキャンパーがカラオケセットやバーベキューセットを桜花の下か河原に持ち込んで来るのと、同じ次元の話だと思います。彼等に感想を聞くとこう言います。「いいお花見でした」「いいキャンプでした」と。しかしながら彼等がやっていることはカラオケやバーベキューです。それらの楽しさを語るのならともかく、花見やキャンプの事は語れないはずです。

 自然との一体感を感じたいのなら、わざわざ山だの海だのに押し入ったり、姫神の野外公演だのに出て来るより、部屋の冷暖房機具を止めてみてはいかがか。文字どおり肌で自然の息吹を感じ取ることが出ます。そして自然というものが、人間にとって必ずしも都合のいい心地よい環境ではない事を痛感するはずです。しかしながら自然との一体感なるものがもしあるとしたら、それを受け入れた状態ではないでしょうか。自分の身を大自然にねじ込んで音楽を聴くことではありません。

 以前、丹沢で自然をなめきったが故に命を落としたオートキャンパー達がいました。彼等はいわば大自然から死刑判決を受け、局限の恐怖の責め苦を受けつつ始末された訳ですが、姫神の公演でもあわやというのがありました。

 平成9(1997)年の奥利根での公演は、台風が接近し文字どおり滝のような降雨と強風の中で行われました。物理的に自然との一体感を体験できる理想的な環境が整った訳ですが、終演後、流石の星さんも怒り心頭に達していらしたそうです。自然の側が一線を踏み越えて人間に近づいて来た時、音楽の送り手も受け手もとても音楽を堪能できる状態ではなかったという事は、その逆もまた然りではないでしょうか。

 私は野外公演そのものを否定しているのではありません。いずれ書くつもりですが、平成8年の降雨の中の小岩井農場は生涯忘れられない公演です。あの場所であの状況下で行う事そのものに、大きな意義のある公演でした。しかしそれでも自然との一体感なんか皆目感じられませんでした。

 姫神の野外公演に関して(2)に続きます。
# by manewyemong | 2006-12-09 09:25 | 音楽 | Comments(0)