「芸術新潮」昭和61年10月号「追跡!! 奥州平泉 黄金の百年」

 「芸術新潮」の最新号平成23(2011)年10月号の巻頭特集は、「奥州平泉とみちのくの仏たち」と題して、平安時代末期に陸奥及び出羽の都として栄えた平泉の仏教美術等に関する物です。

 蔵書の中にも、奥州藤原氏が支配した古代末期の平泉、ひいては奥羽に関して特集した物がありました。
 
a0060052_1664794.jpg
 
 昭和61(1986)年10月号「追跡!! 奥州平泉 黄金の百年」です。

 古代東北の歴史の流れや、果ては奥州人の骨格等、奥州藤原氏100年の文化を、あらゆる角度から探っています。最新号「奥州平泉とみちのくの仏たち」よりも掘り下げ方が深く、私には魅力的に感じられます。

a0060052_1673227.jpg
 
 「後三年合戦絵巻」(大絵巻展参照)。右、乱れた雁(ガン/かり)の群れに伏兵を察知し、進撃する源義家の騎馬隊。左、敗れた清原家衡(きよはらのいえひら)方の将兵の首級。

 奥州藤原氏の100年の平和は、後世の徳川幕府の平和にも比すべき時代ですが、それまでには前九年の役、後三年の役という戦乱がありました。

 奥州藤原氏初代藤原清衡(ふじわらのきよひら)はこの二つの戦役で、これ以上考えられない残酷な形で、安倍(藤原)家、清原家の二つの家庭崩壊を体験します。

 「大地炎ゆ-秀衡のテーマ-」(アルバム「北天幻想」より)で触れた中尊寺建立願文で掲げた理想は、

平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼

していては絶対に実現できない事を、藤原清衡は骨身に沁みて知っていた。だからこそ彼とその子孫達は、大型公共事業から印象操作に至るまでありとあらゆる戦略を練り、策を講ずる事になります。

 奥州藤原氏の100年の黄金文化とは、施政者のこの戦略が色濃く織り込まれた末の、多分に政治的な成果物ではないでしょうか。

 私は美術書に関して、芸術家の作家性や趣味性ではなく、それを必要とした側の思惑が色濃く反映されたもの、言い換えれば、芸術家ではなく、注文を受ける形で制作する絵師や画工といった職人の作品に関する物を集めたいと考えています。

a0060052_1683348.jpg
 
 昭和61(1986)年は、アップルコンピュータがMacintoshを出した翌々年であり、まだDTPは一般的ではなかったと思うのですが、大日本印刷のレスポンスシステムによる写真と模型の合成によって、中尊寺の二階大堂の内部や遠景、鞘堂(さやどう)や現在の覆堂(おおいどう)に入る前の金色堂、毛越寺本堂(後年、平成元:1989年に再建)等を再現する試みが為されています。

 二階大堂、正式には大長寿院は、かつて中尊寺にあった高さ5丈(15m)の2階建ての巨大な阿弥陀堂です。奥州藤原氏初代清衡の時代に建立されました。内部には高さ3丈(9m)の阿弥陀如来と、6丈(4.8m)の脇侍9体が安置されていていました。

 バブル期の頃、毛越寺本堂再建の話を耳にした時、あるいはこの二階大堂も復元されるのではないかと期待したのですが、実現しませんでした。バブル期とはいえ金銭的に難しかったのか、奥州藤原氏を滅ぼした源頼朝が、鎌倉に類する物を建設しようとして果たせなかったのと同じく技術的な問題なのか、そもそも誰もそんなものを再建しようなどとは考えなかったのかは分かりません。

a0060052_16944100.jpg
 
 右は中尊寺の秘仏、一字金輪仏坐像(いちじきんりんぶつざぞう)。彩色されていて、“人肌の大日如来”とも呼ばれます。手は智拳印(左手人差し指を右手指で包む)を結んでいます。

 NHK特集「シルクロード」第2部の「秘境ラダック」によると、大日如来が智拳印を結んでいるのは、チベットと日本の密教だけだそうです。チベット人が多く住むインドのラダックのアルチゴンパ(ゴンパは寺を意味するチベット語)の御堂に、智拳印を結んだ大日如来像が祀られていました。

 平成4(1992)年12月20日、初めて岩手県に来たおり、その日江刺市で行われた姫神のコンサートの会場や宿泊した平泉、盛岡市等で見かけるおばちゃん達の顔が、皆一様にこの一字金輪仏坐像に見えて仕方がありませんでした。

 ちなみに奈良・興福寺の阿修羅像のモデルは、弥生系の関西人ではなく縄文系の東北出身の少女ではないかという記事を、読売新聞で見た事があります。

a0060052_16102611.jpg
 
 中尊寺金色堂。デコラティブジャパン(絢爛なる日本)を、日本の美的感覚の根本と考えている私にとって、金色堂をはじめとする中尊寺の宝物群は、日光東照宮や輪王寺大猷院(りんのうじ・たいゆういん)、目黒雅叙園、川崎市のラブホテル迎賓館等とならぶ、日本人の造形や色彩の粋を極めた空間です。

a0060052_1611117.jpg
 
 アカデミズムとは無縁の、あくまで素人たる私の一考察なのですが、後世の太閤検地(たいこうけんち)より前、奥州藤原氏の施政下ほど広大な一つの地域で度量衡がきちんと統一されていた例は、日本はもちろん、世界的にも珍しいのではないでしょうか。

 私がそう考える理由は、白河から外が浜に至るまで、1町(いっちょう:約109.09m)毎に、黄金を施した笠卒塔婆が立てられていたからです。奥州藤原氏が支配した広大な地域で、1町というきちんとした一つの物差しが使われたということです。

 ちなみに東北は、遠く縄文時代、所謂、縄文尺(じょうもんじゃく)という、一つの長さの物差しを共有していた地域でもあります。

 初代藤原清衡、二代基衡(もとひら)、三代秀衡(ひでひら)の跡を継いだ四代泰衡(やすひら)で、奥州藤原氏は滅ぼされます。

平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼

して源義経の首級を差し出した返事は、三方向から怒濤のように奥州へ押し入って来た、平家と覇を争って合戦慣れした鎌倉武士団でした。

 奥州藤原氏の滅亡によって平安時代、ひいては日本史の古代は終わり、鎌倉時代、そして中世が幕を開けます。


おまけ。

a0060052_16115559.jpg
 
 「追跡!! 奥州平泉 黄金の百年」とは別の「芸術新潮」昭和61年10月号の記事、「本誌独占! ワイエスの“秘画”」。

 この秘画とは関係が無いのですが、平成20(2008)年1月から3月、関西テレビ制作、フジテレビ系列で放映されたドラマ「あしたの、喜多善男」の最終回、主人公が自殺の場に選んだのは、アンドリュー・ワイエスの「クリスティーナの世界」に酷似した場所でした。

 小日向文世さん扮する主人公が歩を進めていくうち、その場所と「クリスティーナの世界」が一体化していきます。背中を見せている、つまり振り向いてくれない女性は、主人公の世界では別れた妻(小西真奈美さん)でした。

[PR]
by manewyemong | 2011-09-28 16:20 | | Comments(0)