ノイズの効用

 アナログシンセ時代、シンセサイザーを買って最初に作った音が、風や波の音だったという人は多いと思います。簡単にできるからというのがその理由でしょう。喜多郎さんも、昭和56(1981)年に出版されたエッセイ「喜多郎・マインドミュージックの世界」(講談社刊)の中で、minimoogを買って最初にできた音は風や波の音だったと記されています。ちなみに喜多郎さんが長期月賦(げっぷ:死語ですね)で買ったminimoogは、日本で4台目に売れたものだそうです。

 アナログシンセのほとんどにノイズジェネレータという機能があります。廉価機ではホワイトノイズ(「ゴ〜」「サ〜」といった音)だけなのですが、中にはピンクノイズ(野菜等を炒める時の「ジュ〜」という音や、近くで鳴った雷の音など)を備えた機種もありました。もちろんノイズジェネレータを持たない機種もありました(KORG PolysixやPOLY-61、SCI prophet-600等)。

 風の音は、ノイズジェネレータのホワイトノイズを使い、フィルターのカットオフポイントにレゾナンスでくせをつけます。そして周波数帯の周期変調、要するにLFOをフィルターにかけて、「ヒュ〜、ヒュ〜」と鳴らします。この音のレゾナンスを0にすると波の音になります。これらは、あくまで風や波の音をセオリーにのっとって作った場合の話です。

 姫神、特に姫神せんせいしょんおよび姫神 with YAS-KAZは、ノイズのバリエーションが豊富で、かつ、実に効果的に使っています。今思いつくだけでも、アルバム「奥の細道」の「ありそ(荒磯)」「行秋(ゆくあき)」「やませ」、「姫神」の「空の遠くの白い火」、「まほろば」のタイトル曲、「イーハトーヴォ日高見」の「くろもじの木の匂い」などは、ノイズがサウンドに深みを与える上で重要な役割を負っています。

 「ありそ」には、打ち寄せる波と引いていく波の2種類がステレオ音場で表現されています。ミキシングコンソールのパンポットで、前者はステレオのレフト方向、後者はライト方向に定位されています。これらの音は先に挙げたホワイトノイズを使っているわけですが、別々に作られ、多重録音で重ねられています。

 「ありそ」のノイズが波の音を表現しているのに対し、「やませ」はタイトルどおり、風の音が表現されています。これも、遠近や、吹いて来る風、去っていく風という風(ふう)に、さまざまな表現が為されています。音そのものはアナログシンセの風の音そのものなのですが、先に挙げた“周期変調をカットオフポイントにかけて「ヒュ〜、ヒュ〜」と鳴らす”とはちがう方法で「ヒュ〜、ヒュ〜」と鳴らしていると思われます。カットオフポイントやレゾナンス等のつまみもしくはスライダーを、姫神・星吉昭さんが手で動かしていると思われます。風の気まぐれな吹き様を、回路に頼らず手で表現するわけです。

 話が少しそれるですが、平成14(2002)年2月7日NHK総合で放映された、「人間ドキュメント・喜多郎〜長良川を奏でる」で、喜多郎さんの「水に祈りて」という新曲とその録音風景が披露されたのですが、その終盤で喜多郎さんがKORG 800DVという国産シンセサイザー黎明期のモデルのスライダーを動かして、風の音を鳴らしている映像がありました。あのスライダーはトラベラー(シンセ黎明期、コルグはVCFをこう呼んでいた)のカットオフポイントです。喜多郎さんはあの風を“回路に頼らず手で表現”されたわけです。ちなみに800DVにはホワイト/ピンクの両ノイズジェネレータがあります。

 同じ事を、今回挙げた「ありそ」「行秋」「やませ」「空の遠くの白い火」などでもしているはずです。シンセに付いてくる取説どおりに周期変調をかける形で作ると、単に「ヒュ〜、ヒュ〜」鳴っているだけの風にしかなりません。曲の展開に合わせたり、演奏者(操縦者といった方がいい?)の意図を込めて風を吹かすのには、やはり手で表現するのがいいと思います。最近のワークステーション機は、つまみやスライダーでフィルターやLFO、EG等をリアルタイムコントロールできる機種がほとんどなので、デジタルアクセスコントロールであることのハンディキャップはありません。

 以上は「風」「波」と明確に分かるようなノイズの使い方をされている音でしたが、ノイズはもっと観念的な音表現にも用いられます。

 「空の遠くの白い火」には、始めから終わりまで「サァー…」というホワイトノイズが鳴らされています。曲の間奏部分で口笛風の音がメロディを取る個所がありますが、その後ろで鳴っているノイズは聴き取りやすいと思います。私にはこのノイズが山中の木立の葉擦れの音に聞こえます。おそらく聴く人によって色々な捉え方ができる、観念的なノイズではないでしょうか。作り方としては波の音と同様、レゾナンスを0にして、カットオフポイントを手動で動かす、といった所だと思います。ただ漫然と風を吹かすのではなく、曲の展開に合わせて鳴っているのが最大の特長です。またこの音は、ミキシングコンソールのパンポットを動かして、ステレオ音場を右、左に移動させています。

 「まほろば」は、姫神には珍しい長尺のナンバーですが、重ねられた音の密度は、決して多いとは言えません。曲を音で埋め尽くすのではなく、どの個所にも、ある種の隙間が与えられています。これがこの曲に独特の清澄感を与えているわけですが、もう一つ秘密があるとしたら、曲の展開の変わり目などで、隠し味的に様々なノイズが使われていることではないでしょうか。

 例えば「まほろば」の曲中、躍動感のあるワルツのような部分から、ストイックな部分へと変わっていく個所で「ゴー、バシャバシャバシャ…」というノイズが入ります。私は遠雷の音だと思っているのですが、これはヤマハのFM音源シンセDX7のプリセット“KAZAN-BAKUHATSU”です。KAZAN-BAKUHATSUは、キーボードマガジンの昭和58(1983)年のたしか5月か6月号の付録のソノシート(井上鑑さんの演奏が収められている。おそらくこれがDX7を使った最初のレコードでしょう。)の中に収録されていました。ワ−クステ−ションタイプのシンセでこの音を再現するには、ノイズ系の波形を選んで、フィルターのカットオフポイントに速い周期の変調をかける、がヒントです。フランジャーやフェイザーを使ってみるのもいいかもしれません。「ゴー」と「バシャバシャバシャ」をどう鳴らし分けるか一考してみてください。

 他にも「まほろば」は、曲中さまざまなノイズが鳴っています。「イーハトーヴォ日高見」の「くろもじの木の匂い」にも印象的なノイズが鳴っています。一度これらの音を、メロディやハーモニーを度外視(否、度外聴?)して、意識して聴いてみてください。これらのノイズは、いわゆる完全無音状態ではなく、静寂感の音表現ではないでしょうか。つまり「しんと静まりかえる」の「しん」を表現しているような気がします。我々日本人はこの「しん」のようなデリケートな音を捉えることが、どうやら他の民族より上手いのではないかと思います。

 姫神のサウンド面の魅力の一つは、この音にならない音、つまり「しん」を聴きとる日本人の聴覚や感性に訴求する部分があることではないでしょうか。遺憾ながら、姫神後半の作品にはそれがほとんど感じられません。一つ一つの音の要素がお互いに干渉しあっている(マスキング効果という専門用語があります)ような気がします。音が多すぎたと思います。

 もしかすると、今の日本人の耳そのものや音を捉える感性に異変が起きていて、静寂感の音表現などというものに美を感じなくなっていているのかな、とも思えます。我々の周りで余計な音が鳴り過ぎているのかもしれません。デリケートな音を捉えることができる耳や感性を大事にしたいものです。

 今回は、ほとんどマニピュレーションに関する記述をしませんでした。今回取りあげた音はマニピュレーションそのものは至極簡単です。むしろ、多重録音やライブでの鳴らし方に演奏者(操縦者?)のセンスが問われると思います。

 ちなみに今回の記事のタイトル「ノイズの効用」は、野口晴哉(のぐち・はるちか)の「風邪の効用」に引っ掛けたものです。
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