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「月のあかりはしみわたり」(アルバム「北天幻想」より)

 アルバム「北天幻想」の「月のあかりはしみわたり」は、そのタイトルとたおやかな曲調から、月夜を描いた夜想曲、といった趣きです。

 また宮沢賢治の「青森挽歌」という詩の中に、
月のあかりはしみわたり
という一節があります。

 しかしながら私は、奥州藤原氏滅亡後のあるエピソードを知って以来、その事と「月のあかりはしみわたり」とを、関連づけて聴くようになりました。

 文治5(1189)年7月から9月にかけて源頼朝(みなもとのよりとも)が起こした奥州征伐によって、奥州藤原氏は滅ぼされました。

 当時、平泉にあった無量光院のある僧は、四代藤原泰衡(ふじわらのやすひら)のあまりにも無惨な死の報に接して、こんな歌を詠みました。
昔にも あらず成る夜の しるしには
今夜の月も 曇りぬるかな
 中尊寺の月見坂で詠んだそうです。

 この僧が泰衡の悲報を知ったのは同年9月13日(旧暦)。その日は明月が多い事で知られる十三夜でしたが、月には雲が掛かってよく見えなかったそうです。「月も曇りぬ」とは泰衡の死の意でしょう。

 また、仏教において明月は悟りの象徴だそうです。この僧は歌の中で自らの内なる明月にも雲を掛ける事で、聖職者としてではなく一人の奥州人として、主(あるじ)の非業の死を悼んだのかもしれません。

 この僧は奥州征伐の翌年、謀反に加担した容疑で鎌倉へ送られ、梶原景時(かじわら・かげとき)の取り調べを受けるのですが、その折、容疑を否認しつつもこの歌を示し、滅ぼされた奥州藤原氏への思慕を隠そうとはしませんでした。梶原景時も、そしてこの事を聞いた源頼朝も感じ入り、この僧をとがめず奥州へ帰したそうです。

 「吾妻鏡(あずまかがみ)」(または「東鑑」)に記されたこの歌とエピソードを、姫神・星吉昭さんがご存知だったかどうかはわかりません。しかしながらこの曲の帯びている表面上のたおやかさとは裏腹の扇情的な悲しい主旋律は、この曲が単に月夜の情景の標題音楽ではなく、もっと具体的な作り手の気持ちが込められているように感じられます。800年前の無量光院の僧と同じ悲しみを、星さんはこの曲に込めたのかもしれません。

 今は隠れてしまった月(奥州藤原氏)の、かつての煌々たる様(平泉の100年の栄華)がしのばれる…。私にとって「月のあかりはしみわたり」とは、そんな曲です。

 メロディを担当している口笛風の音は、おそらくYAMAHA DX7です。FM音源シンセの木管や口笛のプリセット音は、たいていキャリアが二つあるアルゴリズムが使われています。片方のキャリアで「ポー」とか「ピュイー」といった音を、そしてもう片方でブレスノイズを出しているのですが、「月のあかりはしみわたり」のメロディ音は、ブレスノイズが鳴らないように設定されています。また、ベロシティでピッチEGのかかり具合がコントロールされています。

 このメロディ音は、同じくアルバム「北天幻想」収録曲の「平泉-空-」「白鳥伝説」でも使われています。

 曲の中盤、ステレオ音場の左端で始まるデジタルボイスプロセッサKORG DVP-1が、遅れてやや中央寄りで鳴りだすRoland VP-330のヒューマンボイス部に取って代わられていくという伴奏パートのフレーズが繰り返されます。私には明月を見え隠れさせている雲の移動の音表現のように感じられます。

by manewyemong | 2006-03-18 09:13 | 音楽 | Comments(0)