「動植綵絵」、相国寺に帰る(2)

 「動植綵絵」、相国寺に帰る(1)で触れた、相国寺承天閣美術館で開かれている「若冲展」に行ってきました。

 入場制限こそ無かったものの、5月16日、つまり平日の開館直後であるにも関わらず既に多くの人がつめかけていて、なおかつ客層に老若男女の統一感が無く、 若冲人気の度合いと広範さを実感しました。

 伊藤若冲が自身と親族の供養の為に「釈迦三尊像」3幅と併せて相国寺に寄進した「動植綵絵」30幅は、同寺での観音懺法(かんのんせんぽう)のおり、「釈迦三尊像」3幅を中央に、そして「動植綵絵」を15幅づつ左右に配して飾られたそうです。しかしながら明治22(1889)年に「動植綵絵」が皇室へ献上されて以来、「動植綵絵」全てが一度に公開されることは無く、また「釈迦三尊像」と一緒に観るという機会もありませんでした。

 また、観音懺法のおり「釈迦三尊像」3幅と「動植綵絵」30幅がどうレイアウトされたのかについて議論があります。相国寺には本来「閣懺法巻軸配列図」というものがあり、そこにレイアウトに関する正解が記されているはずなのですが、今の所見つかっていないようです。

 今回の公開は、「釈迦三尊像」「動植綵絵」を併せたこのシリーズ本来の形と、レイアウトに関する相国寺の見解に基づいて為されていました。詳らかなレイアウトの順番を、実は忘れてしまったのですが、「釈迦三尊像」3幅を中央に置き、その左右に2幅づつ「動植綵絵」を配し、さらに直角に折れる形で左右13幅づつ飾られていました。「釈迦三尊像」の左右に2幅づつ「動植綵絵」が配された理由が単にスペースの関係なのかそれとも相国寺の見解に基づくものなのかは分かりません。

 展示室に入るとまず「釈迦三尊像」「動植綵絵」全体が目に入るようになっていて、私はそれぞれの絵を観に行くまでのかなりの時間をそこに立って眺めていました。やはりこれらはまぎれもなく仏教画で、伊藤若冲は真摯な心持ちでこれらを描いたのではないかと思いました。もちろん昨今若冲に関心を持つ人々の「シュール」「キモカワイイ」といった感覚を私は否定する気はありません。

 「わび」「さび」は確かに日本人の美的感覚の特徴の一つではありますが、我々にはそれとは全く逆の“デコラティブ(decorative:派手)”なものを嗜好する面もあります。

 「芸術新潮」の平成15(2003)年2月号の特集は「ワビサビなんかぶっ飛ばせ!バロック王国ニッポン」と題して、日光東照宮、西本願寺飛雲閣、目黒雅叙園、大阪飛田新地の料亭百番、川崎市のラブホテル迎賓館等の特集でした。

 宮崎駿監督のアニメ映画「千と千尋の神隠し」の湯屋に登場する派手な日本趣味の源泉をこれらに探るという趣向だったのですが、今回、会場入り口に立って作品全体を見渡した時、「動植綵絵」も日本人のデコラティブ趣味に合致するもののような気がしました。仏教の「山川草木悉皆成仏」(さんせんそうもくしつかいじょうぶつ:この世にあるものは全て仏である)という教えを、伊藤若冲は静謐感ではなく極彩色の中に見ていたのかもしれません。

 「釈迦三尊像」「動植綵絵」とも描かれて200年以上経つにも関わらず塗料の劣化が感じられないこともあって、何だか日本画というよりDTPを駆使したグラフィックのように見えました。

 また、今回そばに行ってじっくり見ることができたが故にいくつか気付いたことがあります。帰宅して画集や美術雑誌を見直すとそこでも確かにそれらの要素を視認できるのですが、やはり実物を見ないと気付かないことがあることを思い知りました。それらは後ほど書きたいと思います。

 「動植綵絵」、相国寺に帰る(3)「若冲になったアメリカ人/ジョー・D・プライス物語」へ続きます。


参考資料

「芸術新潮」2000年11月号
「冴えない青物商、転じて画家となる。異能の画家伊藤若冲」
(新潮社)

「芸術新潮」2003年02月号
「ワビサビなんかぶっ飛ばせ!バロック王国ニッポン」
(新潮社)
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by manewyemong | 2007-05-21 10:16 | | Comments(0)