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 「芸術新潮」の最新号平成23(2011)年10月号の巻頭特集は、「奥州平泉とみちのくの仏たち」と題して、平安時代末期に陸奥及び出羽の都として栄えた平泉の仏教美術等に関する物です。

 蔵書の中にも、奥州藤原氏が支配した古代末期の平泉、ひいては奥羽に関して特集した物がありました。
 
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 昭和61(1986)年10月号「追跡!! 奥州平泉 黄金の百年」です。

 古代東北の歴史の流れや、果ては奥州人の骨格等、奥州藤原氏100年の文化を、あらゆる角度から探っています。最新号「奥州平泉とみちのくの仏たち」よりも掘り下げ方が深く、私には魅力的に感じられます。

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 「後三年合戦絵巻」(大絵巻展参照)。右、乱れた雁(ガン/かり)の群れに伏兵を察知し、進撃する源義家の騎馬隊。左、敗れた清原家衡(きよはらのいえひら)方の将兵の首級。

 奥州藤原氏の100年の平和は、後世の徳川幕府の平和にも比すべき時代ですが、それまでには前九年の役、後三年の役という戦乱がありました。

 奥州藤原氏初代藤原清衡(ふじわらのきよひら)はこの二つの戦役で、これ以上考えられない残酷な形で、安倍(藤原)家、清原家の二つの家庭崩壊を体験します。

 「大地炎ゆ-秀衡のテーマ-」(アルバム「北天幻想」より)で触れた中尊寺建立願文で掲げた理想は、

平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼

していては絶対に実現できない事を、藤原清衡は骨身に沁みて知っていた。だからこそ彼とその子孫達は、大型公共事業から印象操作に至るまでありとあらゆる戦略を練り、策を講ずる事になります。

 奥州藤原氏の100年の黄金文化とは、施政者のこの戦略が色濃く織り込まれた末の、多分に政治的な成果物ではないでしょうか。

 私は美術書に関して、芸術家の作家性や趣味性ではなく、それを必要とした側の思惑が色濃く反映されたもの、言い換えれば、芸術家ではなく、注文を受ける形で制作する絵師や画工といった職人の作品に関する物を集めたいと考えています。

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 昭和61(1986)年は、アップルコンピュータがMacintoshを出した翌々年であり、まだDTPは一般的ではなかったと思うのですが、大日本印刷のレスポンスシステムによる写真と模型の合成によって、中尊寺の二階大堂の内部や遠景、鞘堂(さやどう)や現在の覆堂(おおいどう)に入る前の金色堂、毛越寺本堂(後年、平成元:1989年に再建)等を再現する試みが為されています。

 二階大堂、正式には大長寿院は、かつて中尊寺にあった高さ5丈(15m)の2階建ての巨大な阿弥陀堂です。奥州藤原氏初代清衡の時代に建立されました。内部には高さ3丈(9m)の阿弥陀如来と、6丈(4.8m)の脇侍9体が安置されていていました。

 バブル期の頃、毛越寺本堂再建の話を耳にした時、あるいはこの二階大堂も復元されるのではないかと期待したのですが、実現しませんでした。バブル期とはいえ金銭的に難しかったのか、奥州藤原氏を滅ぼした源頼朝が、鎌倉に類する物を建設しようとして果たせなかったのと同じく技術的な問題なのか、そもそも誰もそんなものを再建しようなどとは考えなかったのかは分かりません。

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 右は中尊寺の秘仏、一字金輪仏坐像(いちじきんりんぶつざぞう)。彩色されていて、“人肌の大日如来”とも呼ばれます。手は智拳印(左手人差し指を右手指で包む)を結んでいます。

 NHK特集「シルクロード」第2部の「秘境ラダック」によると、大日如来が智拳印を結んでいるのは、チベットと日本の密教だけだそうです。チベット人が多く住むインドのラダックのアルチゴンパ(ゴンパは寺を意味するチベット語)の御堂に、智拳印を結んだ大日如来像が祀られていました。

 平成4(1992)年12月20日、初めて岩手県に来たおり、その日江刺市で行われた姫神のコンサートの会場や宿泊した平泉、盛岡市等で見かけるおばちゃん達の顔が、皆一様にこの一字金輪仏坐像に見えて仕方がありませんでした。

 ちなみに奈良・興福寺の阿修羅像のモデルは、弥生系の関西人ではなく縄文系の東北出身の少女ではないかという記事を、読売新聞で見た事があります。

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 中尊寺金色堂。デコラティブジャパン(絢爛なる日本)を、日本の美的感覚の根本と考えている私にとって、金色堂をはじめとする中尊寺の宝物群は、日光東照宮や輪王寺大猷院(りんのうじ・たいゆういん)、目黒雅叙園、川崎市のラブホテル迎賓館等とならぶ、日本人の造形や色彩の粋を極めた空間です。

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 アカデミズムとは無縁の、あくまで素人たる私の一考察なのですが、後世の太閤検地(たいこうけんち)より前、奥州藤原氏の施政下ほど広大な一つの地域で度量衡がきちんと統一されていた例は、日本はもちろん、世界的にも珍しいのではないでしょうか。

 私がそう考える理由は、白河から外が浜に至るまで、1町(いっちょう:約109.09m)毎に、黄金を施した笠卒塔婆が立てられていたからです。奥州藤原氏が支配した広大な地域で、1町というきちんとした一つの物差しが使われたということです。

 ちなみに東北は、遠く縄文時代、所謂、縄文尺(じょうもんじゃく)という、一つの長さの物差しを共有していた地域でもあります。

 初代藤原清衡、二代基衡(もとひら)、三代秀衡(ひでひら)の跡を継いだ四代泰衡(やすひら)で、奥州藤原氏は滅ぼされます。

平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼

して源義経の首級を差し出した返事は、三方向から怒濤のように奥州へ押し入って来た、平家と覇を争って合戦慣れした鎌倉武士団でした。

 奥州藤原氏の滅亡によって平安時代、ひいては日本史の古代は終わり、鎌倉時代、そして中世が幕を開けます。


おまけ。

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 「追跡!! 奥州平泉 黄金の百年」とは別の「芸術新潮」昭和61年10月号の記事、「本誌独占! ワイエスの“秘画”」。

 この秘画とは関係が無いのですが、平成20(2008)年1月から3月、関西テレビ制作、フジテレビ系列で放映されたドラマ「あしたの、喜多善男」の最終回、主人公が自殺の場に選んだのは、アンドリュー・ワイエスの「クリスティーナの世界」に酷似した場所でした。

 小日向文世さん扮する主人公が歩を進めていくうち、その場所と「クリスティーナの世界」が一体化していきます。背中を見せている、つまり振り向いてくれない女性は、主人公の世界では別れた妻(小西真奈美さん)でした。

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by manewyemong | 2011-09-28 16:20 | | Comments(0)
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 平成23(2011)年6月5日朝の大阪城極楽橋。

 昨夏は防護柵が張られていた大阪城極楽橋のメンテナンスが先月完了し、真新しい姿を堀に映しています。

 ちなみに映画「プリンセストヨトミ」撮影時は、柵は外されていました。撮影時、欄干に触れないようにという指示がスタッフからありました。

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 擬宝珠(ぎぼし)は、以前から在った物がきれいにされて取り付けられています。

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 おまけ。浜田省吾さんのツアー車輛。昨日今日と大阪城ホールで公演されるようです。おびただしい数の機材車が停まっていました。

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by manewyemong | 2011-06-05 08:23 | | Comments(0)
 映画「プリンセストヨトミ」を観ました。

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 TOHOシネマズ梅田のロビーに浮かぶ巨大なひょうたん。

 まだ公開中の作品であり、物語等を詳らかに記す事は出来ないのですが、モブシーンに参加したエキストラの一人としての視点も添える形で感想を記したいと思います。

 原作小説「プリンセス・トヨトミ」の設定を、若干変えたり、エピソードを省いたりしてしているものの、それはいずれもプラスになったという印象です。

 この物語に出てくる松平元とその父、真田幸一とその子大輔という二組の父子は、特に前者に設定の違いが加わったものの、それが大阪国の男が生涯2度体験するある儀式の哀しさを、むしろ際立たせたような気がします。このくだりは原作小説の最も魅力的な場面だと思っているのですが、映画は全く取りこぼしなく映像化してくれていると思いました。

 この儀式を語る大阪国首相真田幸一を演じる中井貴一さんの声音が、大阪国が存在したら、いつこの儀式を体験してもおかしくない年齢に達している私には、何だか心にしみてしかたがなかった。

 私は松平と真田が対峙する場面の撮影に居合わせたのですが、感情を抑えつつ互いの主張を展開する二人の役者さんの気迫が半端ではなく、何だか舞台を観ているような感じがしました。

 「プリンセストヨトミ」に父子というテーマを織り込むのは、子を溺愛した豊臣秀吉、父秀吉の事をよく知らないであろう秀頼、私生児として外に出され、大坂城に戻されて数ヶ月後、夏の陣の後に六条河原で斬られた国松という、哀しい父子三代の事が遠いヒントになったのではと私は思っているのですが…。映画では、国松はある登場人物の先祖と思われる徳川方の武将によって救われ、それが現代のプリンセストヨトミへ血脈(けちみゃく)が通った理由となっています。

 映画「珈琲時光」や「森崎書店の日々」は、鬼子母神や神田神保町を舞台にした“町の映画”でした。大阪国が起動するまで諸々の出来事が進行したのは、実はほとんど空堀界隈という限られた地域での事であり、そういう意味では「プリンセストヨトミ」もまた空堀界隈という町の映画なのかもしれません。

 空堀界隈の映像にテレビの“街探訪系”の番組のような“いかにも感”が無く、ここに住むキャラクター達の生活圏として空堀界隈を捉えていると思いました。真田大輔が「女の子になれますように」と願をかけ続ける榎木大明神や古民家、坂道の石畳といった、映像として美味しいだろう思われるものが、ほとんど登場しないのがその理由です。これは先に挙げた「珈琲時光」も全く同じで、鬼子母神のシーンに鬼子母神とあの参道が全く出て来なかった事に通ずる感じがしました。

 もっとも、綾瀬はるかさん扮するミラクル鳥居が、大阪国が起動して人影が消えた大阪市街を彷徨するシーンは、逆にいかにもな所ばかりでしたけど…。会計検査院の三人の食す物が、大阪国総理の経営する太閤のお好み焼き、大阪城公園のたこやき、ディープサウスの串カツというのも“いかにも感”ですね。

 ちなみにこのたこ焼き屋のベンチに座って松平が天守閣を見上げるカット、昨夏ほぼ同じ場所に私もいて同じように見上げていたのですが、こんな事に遭遇いたしました。

 もし「プリンセストヨトミ」がもっとはるかに低予算の映画だったら、舞台を完全に空堀界隈に限定して、例えば怪獣が全く出て来ない怪獣映画「大怪獣東京に現わる」のように、あの赤く浮かび上がる天守閣、鳥居が彷徨する大阪市街、府庁前や大阪城のモブシーン等を、もっぱら伝聞としてのみ描くといったやり方ができるかもしれません。映画ではなく、舞台ならそうなるのでしょうね。

 最後に一つ。日本国から大阪国へ毎年決まった額のカネが流れているという設定は、所謂“いっちょかみ”で妙なところで当事者意識を発露させるくせに、カネの話になると途端に吝(しわ)くなる大阪人の気質に対する皮肉ではないでしょうか。


映画「プリンセストヨトミ」
http://www.princess-toyotomi.com/

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by manewyemong | 2011-06-03 10:50 | | Comments(0)
 平成23(2011)年5月16日19時30分頃、三度目の正直のカウントダウンと花火の号砲とともに、

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 大阪城天守閣が、

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 漆黒の夜空に赤く浮かび上がりました。右上の雲は花火による硝煙です。心霊写真ではありません。

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 西の丸庭園で映画「プリンセストヨトミ」の野外試写会があり、それに花を添える意味での事だと思います。

 否、案外大阪嫌いの大阪人たる私だけが蚊帳の外で、実はあの時、本当に大阪国が起動したのかもしれません。こうして何事も無く17日の朝が来たのは、水面下で私なんぞにはうかがいい知れない力学が働いたのかも…。

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 小説「プリンセス・トヨトミ」で、ある重要キャラクターが幼い頃に森ノ宮の家から、深夜に大阪城天守閣が赤く輝き、中央大通りを埋め尽くす男達が一様にその方向へ往くのを見てしまう、という場面があったのですが、この赤い天守閣は、まさにそのくだりの行間から立ち上がって来たような姿でした。

 映画「プリンセストヨトミ」は、来る5月28日公開です。私もモブシーンにエキストラ参加したので、どこかにその勇姿が映っているかもしれません。

 過去、大阪城に関して平成22年8月22日平成23年2月11日の記事があります。参考までに…。


映画「プリンセストヨトミ」
http://www.princess-toyotomi.com/

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by manewyemong | 2011-05-17 07:33 | | Comments(0)
 平成23(2011)年4月11日朝のアテルイの首塚です。

 これまで、平成20年4月1日のアテルイの首塚平成21年1月3日のアテルイの首塚等、おりにふれてアテルイの首塚を採り上げてきました。

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 「伝 阿弖流為母禮之塚」の碑(いしぶみ)

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 以前から置かれていた石の前には、今もお花とお供え物が…。

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 今年2月に植えられたしだれ桜。若木ですが本の数輪、花をつけていました。

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 牧野公園の桜花。かつてここは隣接する片埜神社(かたのじんじゃ)の神域でした。

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 片埜神社の掲示板。

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 この手ぬぐいは、碑建立の折の記念品です。イラストは片埜神社の神職の方が描かれたと聞きました。「神社若奥日記・鳥居をくぐれば別世界」(祥伝社黄金文庫)の著者の夫君で、その挿絵を描かれた方です。

 アテルイの顔が描かれた側の白い地(ぢ)は水を、文言が書かれている側の紺の地は炎(ほのむら)を表しているように思えます。

 大墓公阿弖流為(おおつかのきみアテルイ)とその副将盤具公母礼(いわぐのきみモレ)の故地は、今、未曾有の災厄に遭遇しています。

 この二柱の神々の、彼の地への加護のあらんことを…。

 平成24年1月5日のアテルイの首塚に続きます。

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by manewyemong | 2011-04-11 10:38 | | Comments(0)
 前世は蟻だったかと思うほど甘い物が好きな私にとって、うれしいニュースがありましたので、ここに記します。

 私が岩手県に行く度に自分へのお土産に買っていた“かもめの玉子”の製造元、さいとう製菓さんが、原材料の調達と電気の復旧が成り次第、操業を再開されるそうです。

 さいとう製菓さんは、今回の東日本大震災で津波に襲われた岩手県大船渡市にあります。本社兼本店は津波によって大きな被害を受けたのですが、工場は被害を被ったものの直撃は免れたそうです。

 この状況下で、原材料と電源があれば操業を再開できるところまで持って来た、関係者の方々のバイタリティに本当に感じ入ります。

 無論、私がかもめの玉子を渋めのお茶と一緒に楽しむ幸せに浴する事ができる日までは、まだまだ先だと思います。しかし、被災地への復興支援のあり方として、募金等と並んで彼の地で作られた物品の購入があると思います。東京や大阪には彼の地のアンテナショップがあります。今まで以上に利用したいと思います。

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 平成6(1994)年6月発行の「岩手王国」vol.11の裏表紙のさいとう製菓さんの広告です。


さいとう製菓株式会社
http://www.saitoseika.co.jp/top.php

東日本大震災:東北の銘菓「かもめの玉子」復興の先陣に
(毎日jpより)
http://mainichi.jp/select/weathernews/
20110311/news/20110325k0000e040090000c.html

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by manewyemong | 2011-03-27 11:28 | | Comments(0)
 平成23(2011)年2月11日、大阪市内は朝から雪が降っていました。

 天満橋駅へ昼食に行ったついでに、少し足をのばして大阪城公園に行きました。

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 昨夏8月26日、映画「プリンセストヨトミ」の撮影があった極楽橋付近。

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 雪から変わっていた雨は、城郭北西の京橋口を出る頃には止んでいました。


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by manewyemong | 2011-02-11 12:54 | | Comments(0)
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 平成22(2010)年9月12日、つまり昨日の夕刻、天満橋を渡っていてふと西の空を見ると、金色に輝く不思議な姿の雲が浮かんでいました。

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 私にはこれが天空を昇っていく白い竜に見えました。映画「ネバーエンディングストーリー」に出て来たハッピードラゴンのファルコン、あるいは「千と千尋の神隠し」の湯屋の前の太鼓橋で千尋を励ました後、どこかへ飛び去っていくハク…。

 大阪の地上はまだまだ暑いのですが、顔を上げてみると、いつの間にか天が高くなっている事に気付きました。

 今夏の暑さを以て「地球が怒っている」という言辞をよく聞きましたが、大自然に喜怒哀楽は無く、ただただここに在るだけだという事を実感します。

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by manewyemong | 2010-09-13 07:48 | | Comments(0)
 8月26日に引き続き、映画「プリンセストヨトミ」のモブシーンのエキストラをしてきました。

 大阪国が起動して、大阪国民が府庁や大阪城公園を埋め尽くしたその最先端部分のシーン。我々の眼前には、主要な登場人物を演じる役者さん達がそろっていました。

 撮影の照明が当てられた故に、大阪府庁舎の意匠を凝らした精緻なつくりをよく観察する事ができました。現代の行政施設としての価値は古くなったのかもしれませんが、今後も何らかの形でこの建物が活かされればと思います。

 エキストラは28日12時30分に集合し、夕刻にお弁当をいただき、撮影が終わった時は23時をまわっていました。

 いくら水分をとってもみんな汗になって出てしまうので、夕刻の休憩時に行った後、今朝までお手洗いに行きませんでした。

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 今回の記念品“太閤さんの天然水”。名称のロゴのバックに五七桐紋(ごひちのきりもん。映画「プリンセストヨトミ」のエキストラをしてきました参照)が入っています。

 来夏、この映画を観る事を楽しみにしています。僅かなりとも自分が関わった事や、スタッフや出演者の方々といった作品に携わっている人たちの労苦を間近に見た身には、やはり他の映画を観るのとは違う感慨を以て、スクリーンを見つめる事になると思います。

 映画「プリンセストヨトミ」を観ましたに続きます。

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by manewyemong | 2010-08-29 09:57 | | Comments(1)
 8月15日に引き続き、昨日、映画「プリンセストヨトミ」のモブシーンのエキストラをしてきました。

 集合場所の大阪城極楽橋へは、最寄りである鉄道各社の京橋駅からだと、青屋門を通ってくるのが最短距離だと思うのですが、私は毎日の癖で天満橋駅で降りてしまい、城郭北西の京橋口から大阪城へ入りました。

 しばらく行くと自分が撮影現場のまっただ中にいることに気付きました。“会計検査院のお三方”が休憩されている真ん前を通って集合場所にたどり着きました。

 今回撮ったのは、大阪国が起動して、大阪国民が府庁やお城を目指して集まってくるという場面。待ち時間は結構ありましたが、石垣の上の木陰にいると暑さや日差しは苦になりませんでした。

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 平成22(2010)年8月26日夕刻、撮影終了直後の大阪城天守閣。

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 8月22日朝に撮った極楽橋。26日の映画撮影当日、緑色の防護柵は外されていて、撮影スタッフの方々から欄干に触れないようにというご注意がありました。その後、極楽橋は改修されています

 映画「プリンセストヨトミ」のエキストラをしてきました(3)映画「プリンセストヨトミ」を観ましたに続きます。

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by manewyemong | 2010-08-27 10:21 | | Comments(0)