カテゴリ:アニメーション映画( 18 )

 「宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟」を観てきました。

 第1作では描かれなかった、イスカンダルから地球への復路に起きた事件を描いています。

 現在上映中の作品なので、物語に関する事柄はここには記しません。主に設定に関する枝葉末節の雑感を中心に書きたいと思います。

 しかしながら、これもネタバレの可能性があるので、それを忌避したい人は、以下をお読みになるべきではありません。

 映画公開終了後、大幅な追記や改訂を行う可能性があります。

 「宇宙戦艦ヤマト2199」本編でも、ドメル艦隊の対戦相手や捕虜として姿を見せたガトランティスが、今回ヤマトと接触します。

 ガトランティスは、旧作の彗星帝国とはやや異なり、各人の粗野さが強調され、およそ生産性そのものは無さそうな存在として描かれています。

 もっとも、小説版「さらば宇宙戦艦ヤマト」(朝日ソノラマ刊)の、ゲーニッツがデスラーの敗死を会食中のズォーダー大帝とサーベラーに伝える場面、たしか

贅を極めた調度類、香りを極めた食卓も、全ては征服した星々から収奪したものである

といった意味の記述があったように記憶しています。

 今回彼等が使う花形兵器、火焔直撃砲も、虜にされたガミラス人技師が開発したものです。元寇のおり、敵軍が鎌倉武士団に使ったてつはうが、モンゴルに敗れた金国や南宋の技術であるという経緯と似た事の様な気がします。

 全体像は出て来ませんが、ガトランティス社会の雰囲気は、アッチラ王率いるフン族、匈奴や契丹(特別展「草原の王朝 契丹」が催されます特別展「草原の王朝 契丹」を観てきました参照)等、長城の北(外)に蟠踞した民族、あるいは「フラッシュゴードン」のモンゴ、映画「続・恐竜の島」の原住民(なぜか日本の甲冑を着ていて日本人風のお辞儀をする)に似たものかもしれません。

 「星巡る方舟」には登場しませんが、下半分は原初の大地、上半分に高低様々な建物が林立する摩天楼という都市帝国の姿は、単于や可汗の帳殿を中心に大小様々な幕舎が集まった宿営地が、土地ごと移動しているイメージと言えるのかもしれません。

 かつて「さらば宇宙戦艦ヤマト」「宇宙戦艦ヤマト2」でも、彗星帝国の艦隊司令は提督(語源は清国の水師提督)と呼ばれていましたが、ガトランティスの官職名が、なぜか都督、丞相といった漢風です。本作の続編があるとしたら、節度使とか中書侍郎なんてのが出て来るのかもしれません。

 サーベラーが通信で現れる場面、背後に赤い縦書きの文章が見えたのですが、モンゴル文字に似ています。それと、私の見誤りかもしれませんが、その文章の流れ方(書き/読み)が、左から右へ改行していくものの様に見えました。モンゴル語がそうです。日本語もそうすべきであると、私は37年来主張しています。このガトランティス語、おそらく速記並みの速さで書ける言語だと思います。

 ガトランティス人、男は映画「フラッシュゴードン」のモンゴ星の皇帝ミンに、サーベラーはミンの皇女に雰囲気が似ています。ミンもその皇女も、欧米人によるステレオタイプの野蛮人のイメージです。

 ちなみに淀川長治さんが解説を担当した「日曜洋画劇場」で「フラッシュゴードン」が放映されたおり、ミンの皇女の吹き替えを担当したのは、「さらば宇宙戦艦ヤマト」のサーベラー役、小宮和枝さんでした。

 山崎貴監督の映画「永遠の0」の空母赤城(あかぎ)の空撮映像(もちろん実際はCGです)や、赤城の飛行甲板下の2本の支柱のたもとで、宮部久蔵が部下と話す場面を見ていて思ったのですが、ガトランティスの高速中型空母は、近代化改装後の赤城がモデルなのではないでしょうか。「星巡る方舟」の高速中型空母は艦体前部が大きくせり出し、飛行甲板下の2本の支柱が陰に入って目立たなくなっています。

 「宇宙戦艦ヤマト」シリーズは、セル画の第1作から「完結編」はもちろん、CGの復活篇まで、登場する宇宙艦艇の悉くが、海の上の話かと思う様な鈍重な動きしかしませんでした。私は子供心にこれが不満で、昭和54(1979)年頃、作ったプラモデルをかざしながら、こんなアングルでヤマトを観たい、ガミラス艦や彗星帝国の駆逐艦、高速中型空母は、本当はこんな風に飛ぶはずだ等と夢想していたのですが、「宇宙戦艦ヤマト2199」の艦艇はいずれもすばしっこく動いてくれます。「星巡る方舟」のヤマトとガトランティス駆逐艦の追撃戦やクライマックスの艦隊戦は、海戦のイメージから外れたアクティブなものになっています。

 被弾した艦艇が爆発するカットの描き込みが、「宇宙戦艦ヤマト2199」テレビシリーズ時よりもはるかに緻密です。艦体が爆発するカット、テレビだとすぐに爆煙に包まれる、というか艦体が爆煙にすり替わる(映画「スターウォーズ」によくある)という事が多かったのですが、「星巡る方舟」は、ビームが命中した部位が溶融し、艦体が光を放って崩壊していく所まで、緻密に描き込まれています。しかも、CGにありがちな模型が壊れるような感じではなく、セル画的な風合いを残したままでです。

 今作では終盤、ヤマトのパルスレーザー群のこれまでに無い見せ場があります。私は歴代作品のヤマトのパルスレーザーの場面で最も好きなのは、「ヤマトよ永遠に」の黒色銀河内で暗黒星団帝国の新イモムシ型戦闘機を迎撃する場面でした。照り返しが緻密に描かれていて迫力がありました。

 第六章終盤及び第七章序盤、第2バレラス市が放ったデスラー砲の影響で、ヤマトの左舷のパルスレーザー群は艦尾方向へ湾曲して使い物にならなくなっていたのですが、今回はその左舷のパルスレーザーのターゲットがこれまでに無いもので、零距離射撃を浴びせ倒します。波動砲を封印したヤマトが、それとは真逆の武器によって血路を開きます。

 平成9(1997)年12月に起きたテレビアニメ「ポケットモンスター」に関するある事件以来、光の明滅に関して一考ある事は理解できるのですが、ヤマトのパルスレーザー群、金田伊功さんが描いた「さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅」の戦闘衛星とアルカディア号の砲撃戦みたいに、もっと照り返しと影を派手に付けて「バチバチッ!」っとやっていただけないものでしょうか。

 最後に一言、これはこの映画のストーリーに関する事です。既に観た人にしか理解できない書き方をしたいと思います。

 大和ホテルの最後の場面、古代とバーガーが引き金を引かなかった事をもって、個々の人間や異民族が、汎人間という規模で分かり合える等と結論づけるのは早計です。可能性を示唆するものではありますけど…。

 大和ホテルに投宿したガトランティス人達は、おそらく引き金を引いたが故に、皆、死体となって転がっていましたが、私は生物として至極真っ当な存在なのは、むしろ粗野なガトランティス人の方だと思います。

 大和ホテルで桐生美影が聞かされた絵本のストーリーの裏側に、私には別の内容が読み取れる。イスカンダル人同様ジレル人も、種としては完全につんだ連中であり、心を読む故に自分達は迫害されたというジレル人の主張は、私には空気を読めず人から避けられる傾向のある人間の言い分に聞えて仕方がない。

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 映画館の売店にあった「宇宙戦艦ヤマト2199」劇場特別セット「ヤマト&ランペア リミテッドクリアver.」。バンダイのプラモデル・メカコレクションシリーズの2199ヤマト及び第2空母の、スケルトンというかトランスルーセントというのか要するに透明なモデル。

 映画館の階下の玩具売場に新旧のメカコレクションがありました。「2199」のものだけでなく、あの頃、私が組み立てたものが、今も販売されている事に驚きました。旧作と「2199」で被っているモデルもありました。


宇宙戦艦ヤマト2199 
http://yamato2199.net/

「続・恐竜の島」予告編
https://www.youtube.com/watch?v=JT1PBjG4fY0

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 平成25(2013年)8月24日から公開されている「宇宙戦艦ヤマト2199 第七章 そして艦は行く」を観てきました。

 第七章は平成24年4月に始まった先行上映版「宇宙戦艦ヤマト2199」の最終章であり、テレビシリーズの第23話「たった1人の戦争」、24話「遥かなる約束の地」、25話「終わり無き戦い」、最終回26話「青い星の記憶」に当たります。

 冒頭に、25話「終わり無き戦い」の一部が欠けた形での上映である事を陳謝するコメントが掲げられたのですが、「第七章 そして艦は行く」の流れに全く影響を与えていない様に思われました。

 「宇宙戦艦ヤマト2199」の着地点は、第1作と同じく、艦長室の窓外に広がっていく赤い地球を見ながら、沖田艦長があの歴史的な台詞を遺してこの世を去り、地球は元の青さを取り戻す、という事なのですが、そこへ至る物語が、旧作が比較にならないほど劇的なものになっていて、上映中の現在、何に触れても所謂ネタバレになってしまいます。

 「第七章 そして艦は行く」公開前日まで視聴する事ができた冒頭10分間と、「宇宙戦艦ヤマト2199」全体に対する雑感を中心に書きたいと思います。既に巷間明かされている様なエピソードが、取り様によってはネタバレの範疇に入ると思うので、そういう事を忌避したい方は読むのを遠慮してください。

 「第六章 到達!大マゼラン」で沖田艦長達は、大マゼランから天の川銀河に至る、いわば宇宙の地政学を知る事になるのですが、「第七章 そして艦は行く」では、第1作の、ガミラスを滅ぼす、とは違う形で、これを塗り替える事になります。

 私は第1作の、

音も無く、動くものも無い

ガミラスの都市を眼下に見ながら、甲板上で古代進と森雪が口にする悔悟の言葉を、自らの星を九分通り滅ぼされかけた人間の肉声として聞く事は、本放映を観ていた小学1年生の時も、そして40年近くを経た今も全くできないのですが、その点「宇宙戦艦ヤマト2199」の制作者達は、物語として上手く逃げ道を作ったものだな、と思いました。これ、本当に他意の無い、純粋な賞賛です。

 ただ、現実の人類史に於いて、こうも都合良く話が転ぶ事は、おそらく無いでしょう。

 古代守やシュルツ、ドメルが死地に赴く決定を、道連れにされる者達が、皆、都合良く賛成してくれる事と併せて、お見事、です。

 デスラー総統のモデルは古代ローマ皇帝であると、かつてヤマト製作者の偉いさんがいわれたそうですが、「第七章 そして艦は行く」であらわになるデスラーの狂気は、たしかにそんな感じがする描き方でした。

 昭和58(1983)年秋公開、ジョン・バダム監督、ロイ・シャイダー主演の映画「ブルーサンダー」の終盤、主人公の駆るブルーサンダーというヘリコプターが、ロスの市街地で空陸の敵と西部劇のガンマンまがいの撃ち合いを展開するのですが、「第七章 そして艦は行く」のバレラス市の摩天楼を縫う様にしての追撃戦の場面、ヤマトと追っ手のガミラス艦の間で、そういう戦いが見れるかもと思いました。

 しかしながら、いずれもヤマトにあっけなく撃沈され、総統府へ先行して左舷を向けて立ちふさがった艦に至っては、ヤマトから舷側に衝突されて火が燃え移った焼き魚の様になってへし折れていきました。ただ、もう出番が無いと思われたガミラス艦の疾駆する様を、最終章でもスクリーンで見る事が出来たのは良かった。

 「宇宙戦艦ヤマト2199」に対する数少ない不満なのですが、柏原満さんの手によるガミラス艦艇や航宙機の音の全てのバリエーションを出し尽くしたとはいいがたい事と、ガミラス艦艇の航行音をもっとでかい音で鳴らしてほしかった。

 「宇宙戦艦ヤマト2」の白色彗星を発してテレザート星宙域に向かうデスラー艦に、ガミラス残存艦隊が続々と合流してくる場面は、戦国時代の馬揃えを彷彿とさせられたのですが、それ故にガミラス艦艇とその航行音のカタログの様に捉える事もできました。「第五章 望郷の銀河間空間」の観艦式の場面辺りに、プラモデルの販促がてらそういうくだりを差し挟んでいただけたらと思いました。

 「第六章 到達!大マゼラン」のドメルの国葬の鐘が鳴り響く場面で、一瞬、総統府内の、聖堂ともサイロともとれる広大な吹き抜けの空間に、縦長の巨大な構造物がそそり立っているのが映るのですが、それが「宇宙戦艦ヤマト2199」仕様のデスラー艦でした。

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 身近な所に、少し似たものを見つけました。牽強付会かな…。

 第1作のデスラー艦のフォルムを継承しているのですが、この艦は「マジンガーZ」でいうホバーパイルダーの様なもので、後に合体して大変身を遂げます。

 バレラス市内での追撃を返り討ちにしたヤマトは、ガレー船の様に艦首を総統府へ突き刺し、庁舎内で、恐らくガミラスのエスタブリッシュメント達を狙った白兵戦を決行しようとするのですが、デスラー艦はそれをかわすかの様にある場所へ向かって飛び立ちます。地表と直角の位置関係の、打ち上げという表現が相応しい発進。

 そういえば、「宇宙戦艦ヤマトIII」に出て来たソ連(23世紀の地球には、ソビエト社会主義共和国連邦が復活している)の宇宙戦艦ノーウィックも、垂直に飛び立っていくタイプでした。

 「第七章 そして艦は行く」は最終章なのですが、観終わって後、以下の疑問が残りました。

 ヤマトがイスカンダルのマザータウンの海を飛び立って帰途に着く場面、スターシャがある人物の墓前でヤマトを見送るのですが、そのおり彼女が見せた、ある仕草の意味。

 第17収容所惑星レプタポーダで起きた反乱事件で、容姿がザルツ人に似ている事と手錠をはめられていたが故に、蜂起した囚人達から仲間と間違われ、行きがかり上、彼等と行動を供にすることになった薮助治機関士は、阿倍仲麻呂や山田長政の様にそのまま異境で生涯を閉じるのか、あるいは大黒屋光太夫やジョン万次郎のように、数奇な運命を辿って帰って来るのか。

 艦内食堂に設置されたOMCS(オムシス)の食材は、結局なんだったのか。

諸賢の興味の対象として残しておこう

は、謎を謎のままにしておく事の定型句なのですが、「宇宙戦艦ヤマト2199」が残した謎もそういう事なのでしょうか、それとも次作への伏線という事なのでしょうか。

 これまで「宇宙戦艦ヤマト復活篇」「SPACE BATTLE SHIP ヤマト」「宇宙戦艦ヤマト復活篇ディレクターズカット」を、第1作本放映時に流行ったアメリカ・ヒューストンから来た凧、ゲイラカイトが、今も時折、思い出したかのように空に揚げられる事になぞらえて、本来、電子音楽や美術の事ばかりのこのブログに記事を書いてきました。

 あるいは「宇宙戦艦ヤマト2199」も制作の動機は、「久しぶりにゲイラカイト揚げてみるか」の類いだったのかもしれません。しかしながら第1作から「復活篇」まで、私の中で見るもの聴くものと割り切ってきた「ヤマト」が、「宇宙戦艦ヤマト2199」だけは1本の作品として真に楽しむ事ができたのは、「宇宙戦艦ヤマト」の種々の矛盾や舌足らずさ、鼻白む様な浪花節臭に対し、おそらく自分だったらこうするを脳裏に描く事ができる、あの頃視聴者だった人達の手に依って、至極丁寧に作られた作品だからかもしれません。

 加えて、40年近く経っても全く新鮮さを失わない、宮川泰さんの音楽と柏原満さんの効果音が、セル画やオープンリールテープがCGやDAWになっても、変わらず作品に生命感を与えてくれた事にも感じ入りました。お二人の成果物は、CGやDAWの時代の今、むしろ輝きを増した感さえあります。

 昭和6(1931)年の宮川さん、昭和8(1933)年生まれの柏原さん、お二人に共通する昭和ヒトケタという生年は、お二人の創造性と関係がある様な気がします。昭和20(1945)年8月15日を、10代前半から半ばで体験しているという事です。

 この年代の人は、あの日を境の世間の価値観の変化を、すんなりとは受け入れる事ができず、結局、今信じている事が必ずしもそうであり続けるとは限らない、言い換えれば、セオリーを信じきれない面があるといいます。その事はお二人の独創性にとって、むしろプラスに働いたのかもしれません。

 「宇宙戦艦ヤマト2199」の制作者の方々に、続編をお作りくださいとはいいませんが、もしそれが実現して映画館にかけられたら、私はその席に座ってスクリーンを見つめる事になると思います。


平成25(2013)年9月24日追記。

 文中、

第17収容所惑星レプタポーダで起きた反乱事件で、容姿がザルツ人に似ている事と手錠をはめられていたが故に、蜂起した囚人達から仲間と間違われ、行きがかり上、彼等と行動を供にすることになった薮助治機関士は、阿倍仲麻呂や山田長政の様にそのまま異境で生涯を閉じるのか、あるいは大黒屋光太夫やジョン万次郎のように、数奇な運命を辿って帰って来るのか。

とした、薮助治機関士に関して、9月22日にテレビ放映された第25話「終わり無き戦い」で、その後の消息が描かれていたそうです。

 「第四章 銀河辺境の攻防」でヤマトと戦った“眼下の敵”フラーケン率いる次元潜航艦で、薮助治改めヤーブ・スケルジ機関士として同艦の危機を回避する活躍を見せたそうです。同僚のガミラス兵と良い関係を構築できていそうな描写だったそうです。

 大宇宙へ雄飛した2199年の日本男児、薮助治改めヤーブ・スケルジ氏に、八百万の神々のご加護のあらん事を…。


平成26(2014)年4月22日追記。

 「宇宙戦艦ヤマト2199」の完全新作「星巡る方舟」が、来る12月6日から劇場公開。また、既に放映が終了したテレビシリーズの総集編「追憶の航海」が、10月11日から順次公開されます。

 「宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟」を観ましたに続きます。


「宇宙戦艦ヤマト2199」
  http://yamato2199.net/

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 「宇宙戦艦ヤマト2199 第六章 到達!大マゼラン」を観てきました。

 第六章はテレビシリーズの第19話「彼らは来た」、第20話「七色の陽のもとに」、第21話「第十七収容所惑星」、第22話「向かうべき星」にあたります。

 第19、20話は、第1作にもあった七色星団でのヤマトとドメル艦隊の死闘を描いています。第21、22話は「宇宙戦艦ヤマト2199」のオリジナルエピソードです。

 第20話「七色の陽のもとに」のタイトルは、「第四章 銀河辺境の攻防」を観ましたで引き合いに出したアンドレイ・タルコフスキー監督の映画「惑星ソラリス」の元になった、スタニスワフ・レムの小説「ソラリスの陽のもとに」に依ったものと思われます。

 「第六章 到達!大マゼラン」が公開中であり、基本的にこの第21、22話には触れずに書いていきたいと思います。1回観ただけなので、事実誤認の可能性がある事をご理解ください。

 第1作でのドメルからヤマトへの七色星団という場所を指定しての決闘の申し込み、宙域到達の前にヤマトの乗組員達が水杯(みずさかずき)を交わす場面は、今回はありません。

 また、第1作の設定資料でいう多層式宇宙空母、バンダイのプラモデルでいう三段空母、そして戦闘空母はいずれも老朽艦である、兵員があらかた新兵と古参兵(老兵)で構成されている、となっています。

 前章第五章 望郷の銀河感空間で、ヤマトがバラン星の亜空間ゲートの管理施設を破壊した為に、数多のガミラス艦隊が宙域に置き去りになったのと、この作戦に親衛隊が保有する精鋭を割かなかった事が理由です。

 ヤマトとドメル艦隊、沖田艦長とドメル司令の間に、物理的な戦力の彼我の極端な差を出したくないという設定意図なのかもしれません。   

 第1作のドリルミサイルは対ヤマト戦の為に工廠に発注した新兵器でしたが、今作ではトンネル工事のシールドマシンのような掘削機の一種、つまり工作機械の既製品の転用で、その事がヤマトの技官(今回は真田ではなく新見)とアナライザーが簡単に中へアクセスできた事の理由になっていると思われます。

 旧作の七色星団(七色混成発光星域)が、性質の異なる六つの星と暗黒星雲で構成されているのに対し、「第六章 到達!大マゼラン」では、この宙域には「ヤマトよ永遠に」の暗黒銀河(ブラックギャラクシー)の様な星間物質が満ちていて、水の様な濃厚な部分と雲や霧の様な部分、さらに希薄な透明の部分があります。濃厚な部分には乱れた流れがあり、絶えず中へ引きずり込む力が働いていて、本来上も下も無いはずの宇宙空間に、上下の様なものを形成しています。

 第1作での飛行甲板を発ったガミラス機が一瞬機体が少し落ちるという演出は、今回も継承されています。理屈にこだわれば無重力状態でそういう事は起こらないのですが、今回の七色星団の設定の理由の一つは、あるいはそういう絵を作りたいという事に対する理屈付けかもしれません。

 同じく七色星団を往くドメル艦隊の各艦が、時に海上を航行する艦の様に航跡をひく、雷撃機の魚雷が炸裂すると水柱が立つ(爆発の反動と化学反応で白濁した星間物質の濃厚な部分が、希薄な方へせり立っている?)といった描写にも関わってきます。

 七色星団が戦場になったのは、この宙域の位置や特異な自然環境に対する、ある意味、沖田艦長とドメル司令の読みが一致した事に起因しています。

 第1作では、ドリルミサイルを反転させるまでドメル艦隊が圧倒的に優勢であったのに対し、今作はそれとは趣きが異なります。詳細は記しませんが、それ故、むしろ乗員を含めた各艦の様子をもう少し寄って描けていると思います。

 無論、瞬間物質移送機でワープしてきた急降下爆撃機に火器と各種探知機を破壊される、ドリルミサイルで波動砲砲門を塞がれる、雷撃機が放った魚雷によって艦体が大きく損傷するといった、まさに、ヤマト命旦夕に迫る、という状況に変わりはありません。

 瞬間物質移送機に転送された急降下爆撃機や雷撃機が、ヤマトの至近距離に雲霞の如く現れ殺到して来る描写と、1機、また1機と現れる度に音程が上がっていくあの効果音。

 昭和20(1945)年4月、米軍機が回避行動中の戦艦大和を真上から撮った写真に触発されたと思われる、同時に幾条もの魚雷の航跡がヤマトの両舷に向かって伸びていくカット。

 それらを旧作の本放映や再放映で観た時、子供心にヤマトがどうやってこの危機を切り抜けるのか手に汗を握ったのですが、今回、劇場でその時の自分の感覚を追体験したような気がしました。

 戦闘の顛末は、第1作とはやや異なり、ドメル艦隊が繰り出した手にヤマトが競り勝ったというのが、私の印象です。

 ドメルは敗因を、装備の老朽や新兵、老兵ばかりだから等といった諸事情に責任転嫁する事無く、自分の作戦の誤りであるとし、生き残った兵員に退艦を指示し、考え得る最後の一手を実行に移そうとします。それに対して兵員達はいずれもドメルと行動を供にすることを望み、ドメルもそれを受け容れます。

 記憶が極めて不確かなのですが第1作では、瞬間物質移送機やドリルミサイルの工廠で副官のゲールから、これらが功を奏さなかった場合どうするのかと問われたドメルは、たしか「最後の決め手」と答えています。そして敗色が決定的になった時、自爆装置の起動とセットカウントを指示した後、「これが最後の決め手だよ、ゲール君」と述べています。

 ひるがえって「宇宙戦艦ヤマト2199」は、「第一章 遥かなる旅立ち」のゆきかぜ、「第三章 果てしなき航海」のシュルツ艦同様、ここでも死を決する事が、指揮官の意図に部下を巻き込む形ではなく、関係者の総意であることが描かれています。

 「宇宙戦艦ヤマト2199」シリーズ中「第六章 到達!大マゼラン」は、今のところ最も劇場で観る事の意義を感じた作品です。

 その理由はもちろん先に挙げた七色星団の戦いの迫力なのですが、他にドメル艦隊が払暁のバレラス市を飛び立っていく場面、艦の背後に市街地やガミラス星の自然が見えるカットが素晴らしかった。

 また、第1空母の飛行甲板から発艦する戦闘機1機を前から撮る形のカット、空母から遠のくとその1機に対してカメラ(視点)が距離を取り始め、フレームに入ってきた僚機群とフォーメーションが組まれたところでカットが終わるのですが、ここも素晴らしかった。宮崎駿監督の作品とは別の趣きの飛翔感がありました。

 七色星団の戦い以外のエピソードについて、本筋と直接関係無い範囲で少し触れたいと思います。

 そこに至る事情を全て省きますが七色星団に続く、ロバート・レッドフォードさん主演の映画「ブルベイカー」のような、囚人虐待と不正の温床になっている刑務所での殺伐としたエピソードの後、イスカンダル人、ガミラス人、地球人のおそらく同年代の女性3人が、ヤマトの艦内食堂でパフェを食すという場面がありました。

 私が「宇宙戦艦ヤマト2199 第四章 銀河辺境の攻防」を観ましたで書いた、

ヤマトで与えられた食事をガミラス兵が気に入ったか否かが、気になって仕方がありません。ガミラス人の口に合うものであれば、自分が厚遇されていると感じるでしょうが、そうでなければ虐待と取る可能性があるからです。

に対する、一応の答えを得る事ができました。果たして、ガミラス嬢がパフェをお気に召したか否か、劇場でお確かめください。

 このシーンで一つ気になったのは、「第二章 太陽圏の死闘」で出たOMCS(オムシス)の食材の謎、異星人に説明しなくて、後で困った事にはならないのでしょうか。「知らない方がいいと思うよ」の一言で済んだのでしょうか。

 また、この場面等を観て思ったのですが、イスカンダル人ユリーシャは、どうも我々が想い描くステレオタイプのプリンセスではないようです。

 それからこれもそこに至る事情を全て省きますが、森雪が案内されたバレラス市内のセレステラ邸(もしくは迎賓館の様な施設?)で、家政婦をしている冥王星のシュルツ司令の遺児ヒルデと出会います。仕事の内容からすると、おそらく現代日本語の「メイド」のニュアンスより旧来の「家政婦」が近いと思うのですが、服装は大阪の電気店街日本橋(にっぽんばし)で、紙片を配っている女の子達のそれに近い気がしました。

 ヒルデ達ザルツ星人が、テロン人というか日本人に似ているという特徴は、「第六章 到達!大マゼラン」のある出来事とも絡んできます。

 BGMについて記すと、タイトルは忘れたのですが、第1、2作でよく使われた、所謂ブリッジカンマ?のバリエーションの一つを聴くことができました。「ダ、ダ、ダ、ダ、ダ、ダ、ダ、ダ、ダァァァァァァァァン」というフレーズ。第1作のBGMを納めた「YAMATO SOUND ALMANAC 宇宙戦艦ヤマト BGM集」でいえば、「54. エンディング・コード・ブリッジコレクション ブリッジA,A♭,B,C,D」に入っています。

 その曲が旧作で流れた場面で今思い出せたのは、「宇宙戦艦ヤマト2」の第11番惑星攻略中のナスカ提督が、大戦艦をヤマトに差し向けるくだりです。ブリッジカンマは「宇宙戦艦ヤマト2199」ではあまり使われていないのですが、第1作には川島和子さんのスキャットが入った「美しい大海を渡る」の変奏曲もありました。

 1980年代初頭、モノフォニックのアナログシンセサイザーと4トラックのカセットテープMTRしか持っていなかった頃、習作として「宇宙戦艦ヤマトBGM集」に入っていたブリッジカンマ群を何曲か多重録音で模倣しました。短尺なので完成までの時間が速く、多重録音の効果を確認しやすかったのがその理由です。

 旅の往路最後のワープを終え、イスカンダルとガミラスが視認できる位置に達したヤマトに、ピンク色の巨大な光の奔流が伸びてきます。

 そしてこの緊迫の場面、第1作には存在しなかったあの曲、低音の擦弦楽器のオスティナートで始まるあの曲が鳴り響き、「第六章 到達!大マゼラン」は幕となります。

 この場面、ヤマトの背後に土星に似た星があり、ふと、「The IDEON(イデオン)<発動編>」のガンドロワの試射シーンを思い出しました。

 ヤマトはこの危機をどう切り抜けるのでしょうか。

 あるいは第七章の序盤で、真田技師長のあの伝説的な台詞、

「こんな事もあろうかと思ってな」

を聞く事ができるのかもしれません。

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 最終章「第七章 そして艦は行く」へ続きます。


「宇宙戦艦ヤマト2199」
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 平成25(2013)年4月13日から公開されている「宇宙戦艦ヤマト2199 第五章 望郷の銀河間空間」を観てきました。まだ公開中なので、枝葉末節の部分に関する雑感を記したいと思います。

 第五章はテレビシリーズの第15話「帰還限界点」、16話「未来への選択」、17話「記憶の森から」、18話「昏き光を超えて」にあたります。

 この「宇宙戦艦ヤマト2199 第五章 望郷の銀河間空間」で、いわゆる序破急の破の景までが終わったと思います。これまで張られてきたいくつかの伏線が、この章で回収されています。

 かつて第1作冒頭のあらすじの場面のBGMは、「無限に広がる大宇宙」「元祖ヤマトのテーマ」以外に「美しい大海を渡る」が使われたのですが、「宇宙戦艦ヤマト2199 第五章 望郷の銀河間空間」本編開始前の、これまでのあらすじの場面も「美しい大海を渡る」でした。

 出だしのハープのグリッサンドが若干違う事とオリジナルよりクリアに録られているからか、最初何の曲か分からなかったのですが、あの優しく雄大な旋律が流れ出して「美しい大海を渡る」と気付きました。編曲演奏も少し違っていて、ピッコロの後ろで鳴るハモンドオルガンは無かったような気がします。

 冒頭、ガミラスが植民地経営に失敗した星を滅ぼす場面があります。植民地にしそこなった事実はもちろん、そもそもそんな星が元々無かった事にしたいかのような、徹底した剿滅(そうめつ)ぶりです。

 「宇宙戦艦ヤマト2199 第四章 銀河辺境の攻防」を観ましたで、
繰り返されているらしい彗星帝国の侵入や、総統府が掲げる理想について来ない人々の存在は、盤石と思われたガミラスの統治が、実は外からも内からもほころびが出て来ている事を、それとなくうかがわせる要素のような気がしました。
としたのですが、この場面もそれを表すエピソードの一つなのかもしれません。
そんな星が元々無かったかのような徹底した剿滅(そうめつ)ぶり
は、同胞にも向けられ、宇宙へ逃れてきた総督らしい文官は、結果責任に忠誠心の欠如を添えられて粛清され、ガミラス人の移民は救助される事無く、かつて自分達が征服した星と運命をともにさせられます。

 その星にガミラスが築いたと思われる都市の、スタジアムのような所に集まっている先住民達及び彼等が掲げている旗に書かれた文字、宮崎駿さんの「風の谷のナウシカ」原作漫画に出てくる土鬼(ドルク)人とその文字に似ています。土鬼文字同様、西夏文字を丸く崩した様な文字、という表現もできるかもしれません。

 ヤマトのワープを干渉する、カレル163という中性子星が登場します。シンセ趣味人として中性子星(パルサー)で思い出すのは、冨田勲さんがアルバム「ドーンコーラス」で、エイトル・ヴィラ=ロボス作曲のブラジル風バッハ第4番「コラール」を編曲演奏した、「パルサーからの呼びかけ」です。システムシンセサイザーmoog III p、system 55、Roland SYSTEM-100Mのモジュレーションのソースとして、帆座にある中性子星からの1秒11回のパルスが使われています。

 昭和57(1982)年夏に公開された「The IDEON(イデオン)<発動編>」に、主人公達の乗る宇宙船ソロシップ1隻の前に、敵対するバッフクラン星の半端ではない数の重機動メカや艦艇が、宙域を埋め尽くすかのように立ちはだかる場面がありました。

 それはセル画時代、思わずため息が出そうなカットだったのですが、「宇宙戦艦ヤマト2199 第五章 望郷の銀河間空間」にはそんな場面が2回登場します。

 そしてヤマトは基本的に同じ戦術でそれを切り抜け、ガミラス側は政権内部で起きた一つの事件故に、これら二つの作戦に失敗します。

 ドメルは中性子星にワープを干渉されたヤマトが現れると予想されるポイントを五つに絞り、大艦隊をそれらに割り振って網を張ります。ヤマトは予想通りガミラス艦隊のただ中に現れ、敵中突破を敢行し、ドメルの座乗する旗艦に零距離射撃を浴びせて切り抜けるのですが、他のポイントから集まって来た新手の援軍に囲まれます。

 しかしながら、ここでヤマトは、第1作から「復活編」までシリーズを通して繰り返し起こる、敵側のあるアクシデントに救われます。「宇宙戦艦ヤマト2199 第一章 遥かなる旅立ち」で書いた、
敵側の職務怠慢や関係者の不和
です。ドメルはある嫌疑をかけられ、作戦を中止して全艦隊を連れてガミラスへの出頭命令に服します。

 第1作のビーメラ星で、囚人(政治犯か)と思われるビーメラ星人達が、巨大な臼(うす)の様な構造物に落とし込まれ、人足達が臼を回し始めると、内部からの断末魔の叫び声と蛇口から液体(劇中、ローヤルゼリーと呼ばれた)がにじみ出てくるという描写が、彼等の民族音楽(「ドン、ドドンドンドドドン、ドン、ドドンドンドンドン…」の繰り返し)を伴って、子供心に刻み込まれました。長く、トーストに蜂蜜を塗る事ができませんでした。

 「第五章 望郷の銀河間空間」には、第1作のビーメラ星に相当する星が、ビーメラ恒星系第4惑星として登場します。巨大なキャベツやレタス、小松菜が覆い被さるような大自然があり、文明は滅び去っていました。それゆえ、臼もローヤルゼリーもありませんでした。

 ヤマトがこの星へ進路を取る理由は、ヤマト抜錨以前から企図されていた一部乗組員のある思惑が絡んでいるのですが、最終的にそれは決着がつき、また、この星でのある発見が、ヤマトの旅に大きな収穫をもたらします。

 昭和56(1981)年正月に公開された石森章太郎さんのアニメーション映画「サイボーグ009 超銀河伝説」で、主人公達の乗る宇宙船イシュメールが、スターゲート(出入り口が一つずつ)、スターメイズ(出入り口が複数ある)という宇宙のバイパストンネルのような空間を通って、数十万光年を一気に長駆する場面があります。

 「宇宙戦艦ヤマト2199 第五章 望郷の銀河間空間」には、それに似た亜空間ゲートなるものが登場します。スターゲートと違い、あくまで人工的な存在なのですが、それを作ったのはガミラスとは別の、既に滅び去った文明で、ガミラスがそれを受け継ぎ運用しています。

 かつて第1作で、ヤマトがバラン星を過ぎたあたりを航行している間に、バラン星基地からガミラスへ召還されたドメルが軍法会議にかけられ、デスラーの判決拒否による復職、ドリルミサイルや瞬間物質移送機を製造して新たに空母艦隊を編成し、ヤマトに挑戦状を送りつけ、七色星団に現れるという時間を、一体どうやって作ったのか子供心に疑問だったのですが、亜空間ゲートはその時間的余裕の疑問を解決できる設定です。

 銀河系側からバラン星へ通ずる亜空間ゲートをヤマトが通る為に、真田志郎、古代進、森雪が、放棄されたシステムを再起動させる作戦を遂行する場面があります。「宇宙戦艦ヤマト2199」「真田志郎」「中原中也」関連の検索語彙での「宇宙戦艦ヤマト2199 第二章 太陽圏の死闘」へのアクセスが多いのですが、この場面で、なぜ真田が中原中也の詩集なのかが明かされます。

 かつて第1作18話「浮かぶ要塞!!二人の決死隊!!」がそうであったように、一見冷めた感のある真田志郎という人物の、情緒的な部分が垣間見える場面だと思います。

 ちなみにこの場面に出てくるガミラスのロボット、第1作でのデザインが踏襲されています。

 亜空間ゲートを通ってバラン星に到達したヤマトの前に、観艦式の為に集結していたガミラスの大艦隊が立ちはだかります。その中に、第1作の設定資料で多層式宇宙空母、バンダイのプラモデルで三段空母となっていたあの艦の影もありました。

 ヤマトは再び敵中突破を敢行するのですが、ガミラス艦隊側は観艦式のフォーメーション故か、文字通り大小1万の艦艇が有視界域に収まる範囲に集まっていて、ヤマトに効果的な攻撃を加える事ができず、さらに観艦式の最高責任者が、実はドメルがかけられた嫌疑の真犯人である事が判明し、混乱に拍車がかかります。敵側関係者の不和による一つの事件が、2度ヤマトを助けたわけです。

 ヤマトはバラン星から大マゼラン小宇宙への亜空間ゲート航行の推進力と、バラン星側のゲートの入り口の封鎖の為に、重力アンカーを解除した形で波動砲を放ちます。こういうのを行きがけの駄賃と表現するのは、品が無いでしょうか。

 結果、ヤマトの前には視界いっぱいに大マゼラン小宇宙が広がり、ガミラスの大艦隊は亜空間ゲートが消えたバラン星宙域に取り残されます。

 波動砲の反動を推進力に使い、重力アンカーを解除して難を逃れるという戦術は、「宇宙戦艦ヤマト2」でガミラスが仕掛けた磁力線封鎖装置によって、ちくわ型空洞惑星に釘付けにされたヤマトが使いました。

 これまで同様、テレビシリーズの4話分を、単につなげて映画館にかけただけの作品なのですが、1本の作品として、物語的にも視聴覚的にも本当に堪能できました。

 物語は決して行き当たりばったりではなく、深い思慮をもって構築されていると思います。そしてアクションシーンや宇宙空間、諸惑星の大自然、都市の景観等の描写は、やはり映画館のスクリーンで観たいものです。

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 あの艦隊が登場する「宇宙戦艦ヤマト2199 第六章 到達!大マゼラン」は来る平成25(2013)年6月15日から、そして第七章(タイトル未定)が8月24日より公開されます。上映間隔がこれまでの3ヶ月から2ヶ月に狭められています。最終回までの制作の目処が、既についているのかもしれません。

 「宇宙戦艦ヤマト2199 第六章 到達!大マゼラン」「第七章 そして艦は行く」へ続きます。


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 平成25(2013)年1月12日から公開されている「宇宙戦艦ヤマト2199 第四章 銀河辺境の攻防」を観てきました。

 第四章はテレビシリーズの第11話「いつか見た世界」、第12話「その果てにあるもの」、第13話「異次元の狼」、第14話「魔女はささやく」にあたります。

 「第一章 遥かなる旅立ち」以来、「宇宙戦艦ヤマト2199」に関する4本目の記事です。

 「第三章 果てしなき航海」同様、旧作には無い設定も多く、既にこの映画を観た人以外には文意がよく読めない記事になっている事、1回観ただけなので記憶違いや誤解の可能性がある事をご理解ください。また、今後、例によって追記や改変を繰り返す可能性があります。

 冒頭、冥王星以来もう見せ場は無いだろうと思っていたガミラス艦が活躍するのですが、相手は彗星帝国の艦隊でした。

 高速中型空母(艦橋の位置が旧作では左舷、今作では右舷にある)、駆逐艦、そしてフォルムは旧作のミサイル艦なのですが、艦首に2本の“破滅ミサイル”を継承しているものの、艦体を覆うようにあったミサイル群は回転砲座に変わっている艦艇がスクリーンに登場しました。

 戦闘は終始ガミラス艦隊優勢のうちに終わるのですが、高速中型空母が爆発する直前、1機のデスバテーターが飛び去っていきます。何かの伏線なのでしょうか。

 また、この場面のBGMは「白色彗星」のいくつかのパターンのうち、ニューディスコアレンジアルバム「不滅の宇宙戦艦ヤマト」に納められたものの新録音版でした。

 その後、ドメルが叙勲と転属の辞令を受ける為にガミラス星に帰ってみると、総統府での彼に対する華々しいセレモニーと市民の熱狂的な歓迎とは裏腹に、官庁街から少し出た所では路傍で反政府とみなされた人々が連行されていく場面に遭遇します。

 繰り返されているらしい彗星帝国の侵入や、総統府が掲げる理想について来ない人々の存在は、盤石と思われたガミラスの統治が、実は外からも内からもほころびが出て来ている事を、それとなくうかがわせる要素のような気がしました。

 捕虜のガミラス兵がヤマトを発つに際し、古代進が食料の入った包みを持たせる場面は第1作にもあったのですが、私はこの中身が何なのか、そしてこれを含め、ヤマトで与えられた食事をガミラス兵が気に入ったか否かが、気になって仕方がありません。ガミラス人の口に合うものであれば、自分が厚遇されていると感じるでしょうが、そうでなければ虐待と取る可能性があるからです。

 大東亜戦争時日本軍の捕虜になった連合国軍兵は、戦後、日本軍に木の枝を喰わされるという虐待を受けたと主張しました。木の枝とは、牛蒡(ごぼう)の事でした。

 「宇宙戦艦ヤマト2」では、捕虜になったデスバテーターのパイロットが、佐渡先生の勧める日本酒(あるいはヤマトカクテルだったか?)に気を良くして、彗星帝国の歌(たしかロシア民謡に似ていた)を唄う場面がありました。

 ヤマトとガミラス兵の接触は、双方が同じような存在である事を認識させるエピソードでしたが、別の場面でガミラスにも両横にお姐さんが座ってくれる店があるという描写も、それを裏付けていると思います。

 ただ、私は立場を異にする二つの存在は、お互いの共通点よりも、むしろ違いを認識する事の方が大事だと思いますけどね。

 たしかバブルの頃、名前は出しませんがアメリカの第三者からの評判の悪い某団体の穏健派の人が来日してニュース番組に出演したおりの「立場の違う者は、強固なフェンスで区切られているからこそ、親しい隣人付き合いができるのではないだろうか」という言葉を、私は全否定する気にはなれません。

 「第二章 太陽圏の死闘」を観ましたで、アメリカ・旧西ドイツ合作映画「眼下の敵」を引き合いに出したのですが、ヤマトとガミラスの次元潜航艦の戦いは、まさに「眼下の敵」の趣きです。映画パンフレットでは「眼下の敵」と題して、フラーケン艦長とその麾下の乗組員、そして彼等の駆る次元潜航艦が紹介されています。

 双方身を隠して相手の出方を窺(うかが)うという戦いは、「宇宙戦艦ヤマト」では珍しいのではないでしょうか。

 次元潜航艦とその艦長フラーケンは、旧作では「宇宙戦艦ヤマトIII」(私は観ていない)での登場です。フラーケンの命令を復唱するゴル・ハイニなる人物の口調が、古臭い言い方かもしれませんががらっぱちで、アニメというより洋画の吹き替えを聞いているみたいな感じがしました。もちろん、良い意味でです。彼等とヤマトの再戦に期待します。

 大小数多の岩塊が浮かぶ空間での戦闘だったので、ヤマトがアステロイドリングを使うかと思ったのですが、それはありませんでした。

 「宇宙戦艦ヤマト2199 第四章 銀河辺境の攻防」の最後の話は、アンドレイ・タルコフスキー監督のソ連映画「惑星ソラリス」を思い出しました。

 有機体の海に覆われた惑星ソラリスはそれ自体が意志を持っていて、近づいてきた地球人の脳髄を読み取り、その心の内にあるものを実体化して、地球人を混乱させます。ちなみに主人公の前には、自殺した妻が繰り返し現れます。

 ガミラス側がある方法でヤマトの乗組員一人一人の心を読み取り、惑星ソラリスとは違って幻覚を見せる形で混乱させるのですが、私にはやや牽強付会の感のある流れで、ヤマトは今回の危機を切り抜けます。

 こんな攻撃を繰り返し恒常的に受け続ければ、ヤマトは早晩任務を完遂する事無く宇宙の塵になるかガミラスに拿捕されるかだと思うのですが、攻撃する側のある哀しい事情で、その可能性は消えます。

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 「宇宙戦艦ヤマト2199 第五章 望郷の銀河間空間」「第六章 到達!大マゼラン」「第七章 そして艦は行く」に続きます。

 また平成25(2013)4月7日、日曜日17時からMBS/TBS系地上波テレビでの放映が始まります。

 ちなみに昭和20(1945)年のこの日は、戦艦大和が撃沈された日です。


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 昨日平成24(2012)年10月13日から公開されている「宇宙戦艦ヤマト2199 第三章 果てしなき航海」を観てきました。

 第三章はテレビシリーズの第7話「太陽圏に別れを告げて」、第8話「星に願いを」、第9話「時計仕掛けの虜囚」、第10話「大宇宙の墓標」にあたります。

 「宇宙戦艦ヤマト2199 第一章 遥かなる旅立ち」「宇宙戦艦ヤマト2199 第二章 太陽圏の死闘」に比してアクションシーンは少なめだったのですが、「宇宙戦艦ヤマト2199」独自の設定が数多織り込まれています。それ故、物語の部分を書きづらいので、この記事の最後の方に差し障りの無さそうな事柄に関して触れたいと思います。

 いずれにしても、観るもの聴くものと割り切ってきた「宇宙戦艦ヤマト」が、「2199」では真に面白いものになっていると思います。

 BGMに関して、第1作では佐渡先生が宇宙遊泳しながら日本酒を呑むシーン等を飾った「ロマンス」が使われました。はじめて聴くステレオ音場の「ロマンス」。

 また、ヤマト艦内のラジオ放送での小説朗読の場面で、旧作には無い、クラシック以前のヨーロッパの古楽のような編成の曲が鳴りました。

 次元断層から脱出したヤマトを攻撃する為に、ゲール自ら艦隊を率いてバラン星基地から現れるのですが、そこで使われた「艦隊集結」は、原曲とは趣が違い、単なる軍楽風というより、緊迫感が加味されている感じがしました。

 BGMとは違うのかもしれませんが、展望室に一人たたずむ古代進がブルースハープで、「真っ赤なスカーフ」を吹きました。ふと、「さよなら銀河鉄道999 -アンドロメダ終着駅-」冒頭の激戦の後、たき火を囲むパルチザンの一人がブルースハープを吹く場面を思い出しました。

 ささきいさおさんの唄う「真っ赤なスカーフ」は、エンディングタイトルロールだけではなく、劇中、ヤマトの艦内放送で流れるのですが、20世紀の近世歌謡?としてではなく、単にちょっと懐かしい曲として紹介されます。

 「宇宙戦艦ヤマト2199 第三章 果てしなき航海」のパンフレットに、第1作から効果音を担当されている柏原満さんのインタビューが載っています。1970年代末から1980年代初頭のアニメブームの頃、作画監督だとか声優とかのインタビューはその筋の本に数多載っていたのですが、効果音に関するものを、少なくとも私が見る事はありませんでした。

 「宇宙戦艦ヤマト復活篇」の音「宇宙戦艦ヤマト復活篇ディレクターズカット」の音等、柏原さんの効果音について何度か書いてきました。私が子供心に音を面白いと思ったのは、まぎれもなく「宇宙戦艦ヤマト」がきっかけであり、それがやがてシンセサイザーに対する関心へとつながりました。

 柏原さんのインタビューには、お作りになった音に関するいくつかちょっとした種明かしがあるのですが、お使いになっていたシンセは、やはりminimoog(ミニモーグ)でした。今回登場したデスラー魚雷に仕込まれたガス生命体や、ガミラス星近くでヤマトを拿捕する強磁性フェライトの雲の音は、割と簡単にできます。minimoogによる喜多郎効果音をつぶやくの設定で、モジュレーションミックスをノイズ方向へ振り切ってしまうだけです。minimoog単体ではなく、料理に使う銀紙で出した音を混ぜるともっと似ます。

 「宇宙戦艦ヤマト2199」は、地球の事を「テロン」と呼んだり、ワープの事を「ゲシュタムジャンプ」としたりと、名詞に関して地球(日本)とガミラスで違う語彙を作り込んでいるのですが、その割には今回の総統府の大広間の場面で、「ネズミ」「ネコ」という言葉が出て来ます。もちろん物語とは関係が無い至極些末な事だとは思うのですが、架空の動物とその名を設定し、しかし地球人たる我々観客には、登場人物達の会話の中でそれらがネズミとネコのような関係の生き物である事を理解させるような工夫が欲しかったなと思いました。

 第1作放映以来、今日まで語り継がれて来たあの場面が登場します。総統府の広間に文武百官が居並ぶ中、酔っぱらった、いかにもニューマ(空気)に疎いと思われる人物が、あの歴史的な台詞
「総統も相当、冗談がお好きで」
を発し、その事に不快感を憶えたデスラーが玉座の操作子に触れると、発言者の足下に穴が開いて落ちて消える、というシーンです。

 ちなみにこの「総統も相当~」のドーテム・ゲルヒンなるとても下品な人物、出番はここだけで物語の本筋とは関係が無いにも関わらず、映画パンフレットではタラン(今作では二人兄弟として登場)やゲールよりも大きく扱われています。

 かなり以前、何かのテレビCMで原ひさ子さん扮するおばあちゃんが、質問に答えられないと足下に穴が開いて消えるというものがありました。初めて観た時、大変不愉快な気持ちになったのですが、最後に原さんが商品を手にして微笑むカットがあるというオチ。私はこのCMは、この「総統も相当〜」の場面に影響されたのではないかと思っているのですが…。真相は判りません。

 ガミラス星には当然ながらそれを支える数多の国民が居るわけですが、今作ではそれがはっきりと画面に登場します。ということは、旧作では描かれる事が無かった、ガミラス星に拿捕されたヤマトからの反撃の無差別攻撃を受ける市民達を、「宇宙戦艦ヤマト2199」の制作者は無視せず描くという事だと、私は解釈しました。

 赤色矮星に追い込まれたヤマトが、巨大なプロミネンスに波動砲を放って血路を開くという場面で、勢子(せこ)のような役割を負っていたシュルツ艦が、プロミネンスに包まれて死を決するくだり、それが一軍の将たるシュルツやその副官のガンツの個人的な考えではなく、乗組員の総意である事が描かれています。似た場面が「第一章 遥かなる旅立ち」にもありました。

 ビートたけしさんの「だから私は<戦争>が好き」(新潮文庫「落選確実選挙演説」収録)に、
戦地で死ぬ大抵の人間は(中略)意外にマニュアル通りやってしまうもので、死ぬ瞬間までそうなんだ
とありました。

 プロミネンスに包まれたシュルツ艦の人々が唱えたのは「総統万歳」の類いではなく、自分達の故郷の星の名でした。

 一敗地に塗(まみ)れ、最後は赤色矮星に玉砕したシュルツ麾下の冥王星基地の敗兵と遺族に対して、デスラーが意外な温情ある配慮を見せます。それが真に情緒的な理由なのか、それとも版図に組み入れた異民族政策、言い換えれば、人はこうやって使うのだ、というそろばんづくの手段なのかは、私には分かりませんでした。

 いすれにしても一連の敗報に対するデスラーの不快感は、テロン艦ヤマトでも冥王星基地関係者でもなく別の所へ向けられ、それは人事に反映され、次の「第四章 銀河辺境の攻防」での、あの人物の登板へとつながります。

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 「第四章 銀河辺境の攻防」「第五章 望郷の銀河間空間」「第六章 到達!大マゼラン」「第七章 そして艦は行く」へ続きます。


「宇宙戦艦ヤマト2199」
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 「宇宙戦艦ヤマト2199 第二章 太陽圏の死闘」を観てきました。

 第二章はテレビシリーズの第3話「木星圏脱出」、第4話「氷原の墓標」、第5話「死角無き罠」、第6話「冥王の落日」にあたります。

 これまでの記事同様、系統だったものではなく断片的な形で、思いつく、あるいは思い出すままに雑感を記したいと思います。例によって追記を重ねていく可能性があります。

 たしか私が小学校高学年から中学生だった1970年代末~1980年代初頭、淀川長治さんが解説を担当したテレビの映画番組で、米・旧西ドイツの合作映画「眼下の敵」という作品が何度か放映されました。

 「眼下の敵」は、第2次大戦中の1隻のアメリカの駆逐艦と、同じく1隻のドイツの潜水艦の戦いを描いた作品です。「宇宙戦艦ヤマト」シリーズや「機動戦士ガンダム」等のような、戦争そのものの終わりまでではなく、あくまで世界規模で展開されていた戦争の、一つの局地戦を材に採った映画でした。

 「宇宙戦艦ヤマト2199 第二章 太陽圏の死闘」は、本来週1回放映各話約30分のテレビアニメとして制作されている「宇宙戦艦ヤマト2199」の、地球を発ったヤマトがワープテストを行う所からガミラスの冥王星基地を落城させるまでの4話分を、単にくっつけた形で映画館にかけた作品です。しかしながら、まるで「眼下の敵」のような独立した1本の作品として観る事が出来ました。

 謎の敵であったガミラス側の様子が描かれ始めています。 「宇宙戦艦ヤマト2199 第一章 遥かなる旅立ち」 で、

宇宙戦艦ヤマト」第1作から復活篇に至るまで、敵側の職務怠慢や関係者の不和は、しばしばヤマトを勝利に導いて来た

と書いたのですが、その片鱗が既に登場しています。

 ヤマトがワープした事を冥王星のシュルツが上司であるバラン星のゲールに報告すると、事の詳細を詮索する事無く、良い報告だけをせよと命じて通信を終えます。後にヤマトを反射衛星砲で撃沈したと早合点したシュルツが、ゲールを外して直接デスラーに戦捷の報告をした場面で、地球艦がワープしたという話を知っているかと、デスラーが秘書官らしい女性や副総統に質すと、いずれも「否」と答えるくだりがそれです。

 ただ、一見功名心にはやって戦捷報告をしたように見えるシュルツ、というよりシュルツ達には、実はある悲痛な現実が存在する事が描かれています。旧作とさほど出番に差があるとは思えない冥王星基地の関係者に、「宇宙戦艦ヤマト2199」はより深い役割を持たせて描いています。

 シュルツの愛娘が、どう見ても日本橋(にっぽんばし)の電気店街の看板に描かれている女の子のようなデザインなのは、悪乗り気味だと思いましたが…。

  「宇宙戦艦ヤマト2199 第一章 遥かなる旅立ち」 で、

地球の武器が自分たちには通用しないとたかをくくっていて回避行動すらとらず

と書いたのですが、浮遊大陸のガミラスの施設の責任者らしい人物が、そのものズバリの台詞を口にしました。

 結果、ヤマト攻撃に投入されたガミラス艦はショックカノンによって、ヤマトと直角の位置関係にあった艦はあの秀麗な顔面(艦首)を激しく殴打されたような姿で、そして平行位置関係にあった艦は胴体をまっ二つにされて浮遊大陸の森へ沈んでいきました。

 老若男女どんな立派な人にも一つや二つは変わった所があるものですが、ヤマトの乗組員達に関するそういう面も描かれ始めています。「宇宙戦艦ヤマト2199 第二章 太陽圏の死闘」は、物語の本筋がめまぐるしく展開していく中に、そういったエピソードを上手く添えていたように思えました。

 ヤマトの艦内食堂で技師長の真田志郎が固形食品を食しながら、電子書籍ではなく、カバーを外しているが故にどうみても岩波文庫さんの「中原中也詩集」を読んでいる場面がありました。西暦2199年の戦時下の地球に文庫本が残っている事が嬉しい。

 またこの場面で、自動的に艦内食を作る装置OMCS(オムシス)がどういう食材を使っているのかを問われた真田が、「知らない方がいいと思うよ」と回答を避けたのですが、気になる伏線です。旧日本軍は尿から飲料水を作る装置を研究していたそうですが…。

 宮崎駿さんの「未来少年コナン」に、太陽エネルギーが復活したインダストリアで、たしか“プラスチップ”なるものからパン等を機械が大量生産する場面がありました。

 それと、真田が他の乗組員のような一般的な食べ物を口にしていないのは、彼が旧作同様サイボーグである事の伏線かもしれません。

 ヤマトシリーズのBGMの怪作中の怪作ともいうべきあの2曲、「ワープ」「デスラー登場」が登場します。「ワープ」は本当に旧作の音源をDAWを駆使してステレオ化したのかと思えるほど、ニュアンスが忠実に再現されていました。「デスラー登場」は、あの水晶のようなピアノや鳥の羽のスティックで叩いたスネア、電気ギター等で構成されている事は同じなのですが、電気ギターは流石に今を感じました。

 また艦載機の発進場面は、コスモゼロが第1作の「ブラックタイガー」、コスモファルコンが「新たなる旅立ち」の「新コスモタイガー」でした。後者には私が子供の頃に本放映を観た「帰ってきたウルトラマン」のMAT(マット)が出動するシーンで耳にしたコーラス、所謂「ワンダバ」が入っています。これが入っている事の意義を、はたして我々の世代以外の人達が理解できるでしょうか。

 第1作から復活篇に至るまで物語や設定の齟齬が目立つが故に、「宇宙戦艦ヤマト」は見るもの聴くものと割り切っていたのですが、それらを基本的には変えず、しかし様々にブラッシュアップした感のある「宇宙戦艦ヤマト2199」は、真に作品として面白いものになっていると思います。

 第1作放映と同時期に流行ったヒューストンから来た凧ゲイラカイトを、今も時折、誰かが思い出したように空に揚げる事になぞらえて、これまで「宇宙戦艦ヤマト復活篇」「SPACE BATTLE SHIP ヤマト」「宇宙戦艦ヤマト2199」について書いて来ました。

 しかしながら、私の中で「宇宙戦艦ヤマト2199」は、もはやゲイラカイトではなくなりました。

 「第三章 果てしなき航海」「第四章 銀河辺境の攻防」「第五章 望郷の銀河間空間」「第六章 到達!大マゼラン」「第七章 そして艦は行く」に続きます。


「宇宙戦艦ヤマト2199」
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「中原中也詩集」(大岡昇平編、岩波文庫刊)
http://www.iwanami.co.jp/
cgi-bin/isearch?isbn=ISBN4-00-310971-6

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 4月7日から20日まで公開されている、「宇宙戦艦ヤマト2199 第一章 遥かなる旅立ち」を観ました。

 本来テレビ放映用に制作されているシリーズ第1話「イスカンダルの使者」と第2話「我が赴くは星の海原」を1本にしたもので、戦艦大和が宇宙戦艦ヤマトとして復活するまでを描いています。

 自前のテレビを持っていない事やDVD再生手段がノートパソコンしか無い事、そして「宇宙戦艦ヤマト復活篇ディレクターズカット」の形の最後に、

一人ではなく、言葉を交わす事の無い大勢の人々と一緒にスクリーンを見つめる形で、これからの「宇宙戦艦ヤマト」を観る事ができたらと思います。

と書いたとおり、1本の映画として完結した形でなくともスクリーンで観たいという思いから、映画館に行きました。劇場で1回観ただけなので、事実誤認の部分もあるかとは思うのですが、雑感を記したいと思います。

 登場人物は旧作の雰囲気を残しつつも、物語上の位置付けや性格の違いを加味する形で新たにデザインされています。旧作は放映回毎にタッチがバラバラだったり明らかにミスがあったりしたものですが、流石に今作ではそれは無さそうです。

 イスカンダル人の姉妹があまりにも肉感的で、イスカンダルという屋号の、スターシアというママがいるお店なのかと思いたくなるようなデザインでした。悪乗り気味な感じがしなくもないのですが、それでもここは旧作を凌駕した設定だと思います。

 沖田艦長等、軍人達の敬礼の仕方は、脇を閉める形で行うという、旧海軍の作法が用いられています。週刊文春で連載されている阿川佐和子さんの対談記事で読んだのですが、艦内は狭いのでこうするのだそうです。阿川さんの父、阿川弘之さんは旧海軍軍人でした。

 メカも旧作のフォルムが踏襲されつつ、CGならではの描き込みの緻密さが活きています。一からデザインを起こしたのは戦闘機コスモファルコンぐらいだと思うのですが、これも主翼基部の火器等、ブラックタイガーの面影を継承しています。

 たしか10年近く前、ゆきかぜやガミラス艦の食玩フィギュアを手にした時も思ったのですが、今回CGで観てみて、旧作のメカデザインが単なる面ではなく、きっちりと立体的に考えられていたという事に驚かされます。同じ時期の「マジンガーZ」「ゲッターロボ」といったロボット物は、その辺りを「宇宙戦艦ヤマト」ほどにはシビアには考えていなかったのではないでしょうか。

 「宇宙戦艦ヤマト2199 第一章 遥かなる旅立ち」は、旧地球艦や後にヤマトに叩きのめされまくるやられキャラともいうべきガミラス艦群が、ともに最も見せ場を与えられた作品だと思います。私は子供の頃からこれらのメカがシリーズを通して最も好きです。第1作の冥王星空域の戦いは、姿も音もそれまでの常識とは全く違う(空想上の)宇宙船が私の前に現れた瞬間でした。

 今回の冥王星の会戦には、艦首の光る目がトレードマークのガミラス艦の全てのパターン(一般的な二つ目、四つ目、目が細いもの)が登場するのですが、戦闘が始まると目の輝度が増すという演出があります。ガミラスのプロダクトデザインは建物から杯に至るまで生物的なフォルムを持っているのですが、この演出は何だかガミラス艦自体が意志を示しているかの様に思えました。

 メカ達はCGで描かれているが故に、様々な角度で画面に登場します。私は「宇宙戦艦ヤマト復活篇」の形で、

これまで宇宙戦艦ヤマトの姿は、波動砲の砲門とバルバスバウ(球状艦首)に目線を置いてデフォルメしたアングルが多く(略)私は子供の頃からこの構図が好きではありませんでした。小学生の頃、作ったプラモデルを様々にかざしながら、動くヤマトをこんな角度から観てみたいなと夢想したものです。

としたのですが、CGで描かれたメカはその点、文字通り縦横無尽の感があります。今回メカの場面を描いたスタッフが、冥王星の反射衛星砲や七色星団のドメル艦隊をどう表現するのか楽しみです。

 メカ群はいずれもセル画の風合いを継承していて、一つの画面にあって手描きのアニメーションの人物との違和感を感じないものでした。私が小学生の頃「恐竜探検隊ボーンフリー」という、人物はアニメーションで風景や登場する恐竜達は模型や着ぐるみという作品がありました。子供心に画面に違和感を感じたものですが、先の「宇宙戦艦ヤマト復活篇」を含む今の作品に、時に「ボーンフリー」に通ずる違和感を感じる事があります。

 ちなみに劇中、私が手にした食玩フィギュアのゆきかぜと似たものが登場します。古代進の私室の卓上、戦死した兄、守の遺影のそばに置かれていました。台座の形状やブルースハープとの大きさの関係から、あるいは私が手にしたのと同じ物かもしれません。

 音楽は宮川泰(みやがわ・ひろし)さんの息子、宮川彬良(みやがわ・あきら)さん。基本的には「宇宙戦艦ヤマト」第1作のBGMが踏襲されていて、編曲の大幅な改変は少なかったと思います。戦艦大和の表皮が崩れて宇宙戦艦ヤマトが出現する場面のBGM「地球を飛び立つヤマト」は、たしかその後の交響曲化のおりに採られる事は無く、今回はじめてステレオ音場で聴く事ができました。

 私は作品を重ねる毎に一大シンフォニーと化していくヤマトのBGMよりも、第1作のジャズやロックバンド、小編成のオーケストラの時の編曲演奏が好きなのですが、宮川彬良さんは「宇宙戦艦ヤマト2199」でそれを崩さないとお考えなのかもしれません。

「宇宙戦艦ヤマト2199」での「デスラー登場」「探索艇」(ハモンドオルガンがロックしています)「ワープ」といった、即興の要素が濃かったり不思議な構成の曲がどうなるのか楽しみです。

 効果音は旧作の柏原満さんの音源と今のスタッフによるものとが併用されています。柏原さんの音は「宇宙戦艦ヤマト復活篇」の音等で何度も触れてきたので今のスタッフの音について二つ書きます。

 冒頭の地球艦のビームをガミラス艦が跳ね返す音、旧作は弦かしなる棒を振るような趣きだったのですが、「宇宙戦艦ヤマト2199」はポールを叩くような音、ちょうどKORG M1等コルグのワークステーション機のプリセット音、Poleに似ています。あるいは本当にPoleそのものだったのかもしれません。

 ちなみに旧作の本放映でこの場面を見た時、当時小学1年生だった私は思わず「きかへん」とつぶやいたことをよくおぼえています。

 また、降下して来るガミラスのヒトデ型高速空母の艦底部に、戦艦大和に偽装されたヤマトの主砲が命中して弾孔が空く音、たしか中身が入っていないビール瓶をコンクリートかアスファルトの上に置く音に似ている気がしたのですが、妙な生々しさがありました。

 物語や設定の齟齬は「宇宙戦艦ヤマト」シリーズの名物みたいなものですが、「宇宙戦艦ヤマト2199」は、あるいはそれらを探すのが難しい初めての「宇宙戦艦ヤマト」になるような気がします。

 「宇宙戦艦ヤマト2199 第一章 遥かなる旅立ち」はテレビ2本分ですが、既に伏線がいくつか引かれています。

 例えば、森雪がイスカンダルのスターシア/サーシア姉妹に似ているというエピソードは旧作から引き継いだ設定ですが、今作ではそれが単なる偶然ではない可能性があります。

 また「宇宙戦艦ヤマト」第1作から復活篇に至るまで、敵側の職務怠慢や関係者の不和は、しばしばヤマトを勝利に導いて来たのですが、今回もヤマトが戦艦大和の姿で放った主砲の一撃によるヒトデ型高速空母の敗報を、ガミラス軍の冥王星基地は上へ報告せず、現場で処理する事を決定してしまいます。

 軍政国家であるにも関わらず、圧倒的に有利な形で戦争を進めて来たガミラスは、ある意味、どこかの国に通ずる平和ボケが蔓延していて、機構が弛緩、あるいは逆に硬直化しているのかもしれません。ヒトデ型空母とその艦載機隊は、地球の武器が自分たちには通用しないとたかをくくっていて回避行動すらとらず、コスモファルコンとヤマトに瞬殺されます。

 若くクレバーな、しかしこの先何をするか分からない独裁者と、弛緩してフレキシビリティに欠き、それ故に今、その独裁者の号令に戦々恐々とする機構…、ガミラス星によく似た自治体がありますねぇ。私は今、その町でこの文章を打っているのですけど。

 それにしても22世紀末の佐渡酒造先生が、「カストリ」という言葉を使った事に驚きました。私はたしか、水上勉の小説「飢餓海峡」の終戦後の混沌が続く池袋ジャングル、今でいう池袋駅西口の場面の描写で知った言葉です。物資が欠乏すると人間のやる事は同じだという意味で、制作者は佐渡先生にこの言葉を言わせたのかもしれません。

 劇中、冥王星のシュルツとガンツによるガミラス語の台詞があるのですが、「ツバクカンサルマ(逆さまから読むと…)」などという簡単なものではなく本格的な会話でした。耳をそばだてたのですが「ツバク…」のような回文ではなさそうでした。ただ、超大型ミサイルの発射時のカウントダウン、「ゼロ」の語だけは同じく「ゼロ」だったようです。

 私は「宇宙戦艦ヤマト復活篇」の形で、第1作と同時期に流行ったアメリカ・ヒューストンから来たゲイラカイトが、時々思い出されたように空に揚げられる事になぞらえて、これからも「宇宙戦艦ヤマト」は作られていくだろうとしたのですが、それは当分続くようです。

 「第二章 太陽圏の死闘」「第三章 果てしなき航海」「第四章 銀河辺境の攻防」「第五章 望郷の銀河間空間」「第六章 到達!大マゼラン」「第七章 そして艦は行く」に続きます。


「宇宙戦艦ヤマト2199」
 http://yamato2199.net/


平成24(2012)年4月13日追記。

 本文中、

沖田艦長等、軍人達の敬礼の仕方は、脇を閉める形で行うという、旧海軍の作法が用いられています。

としたのですが、これは現在の海上自衛隊にも継承されているそうです。複数筋からご教示いただきました。ありがとうございました。

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 「宇宙戦艦ヤマト復活篇ディレクターズカット」の音に続き、「宇宙戦艦ヤマト復活篇ディレクターズカット」の形です。「宇宙戦艦ヤマト復活篇」の形で触れなかった事も含めて書きます。

 今回、感想はこの「宇宙戦艦ヤマト復活篇ディレクターズカット」の形の方に書きました。

 追加された映像は、ストーリーの変更やエピソードの挿入に伴うものです。「宇宙戦艦ヤマト復活篇」でカットされたが故に説明がつかなかった面を補っているのですが、取捨選択を進めた結果、「宇宙戦艦ヤマト復活篇ディレクターズカット」の上映時間はむしろ短くなっています。ブラッシュアップは、完全に良い方向へ働いたと思います。

 「宇宙戦艦ヤマト復活篇」では、コスモパルサー隊のエース小林が、途中から旧ブラックタイガーチームの制服を着ている事に対する説明が無かったのですが、「宇宙戦艦ヤマト復活篇ディレクターズカット」では古代艦長から託される場面が描かれています。

 また、第1次移民船団の旗艦ブルーノアの唯一の生き残りで、古代からヤマト戦闘班長に起用された上条が、戦闘中、時に情緒的な言動をする事に対する理由として、彼がブルーノアで深手を負い未だ治療中である事と、全滅した第1次移民船団の中に家族がいた事を明かす場面がありました。

 「宇宙戦艦ヤマト復活篇」/「宇宙戦艦ヤマト復活篇ディレクターズカット」の区別の無い話なのですが、人物のデザインやアニメーションとしての動きについて記します。

 この作品の総作画監督、湖川友謙(こがわ・とものり)さんは、「さらば宇宙戦艦ヤマト」「THE IDEON(イデオン)<接触編><発動編>」の作画監督でもあります。

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 私は特に「IDEON」の絵柄が好きだったのですが、人物の顔を下から仰ぎ見た構図の絵に特徴があって、そのアングルの時「さらば宇宙戦艦ヤマト」の古代進と「IDEON」の主人公ユウキ・コスモが、酷似する事がありました。

 「宇宙戦艦ヤマト復活篇」ではタッチがかなり変わっているものの、人物の顔を仰ぐアングルの時、相変わらず特徴が出ていました。穿った見方かもしれませんが、かつてそう評された事をご本人かアニメーターが憶えていて、あえてその事を強調したのかなとさえ思えました。

 私は中学高校の美術の時間に人の顔を描く時、よく湖川さんの特徴を真似したのですが、美術の先生から、なぜおまえは凹凸や陰影を強調したがるのかと聞かれました。ちなみに金田伊功(かなだ・よしのり)さんの真似をすると、中学の美術教師からはなぜおまえの描く物は歪んでいるのかと聞かれたのですが、高校では「カネダイコーみたいやな」と言われました。

 佐渡酒造先生とその愛猫ミーくん、アナライザーのデザインは、松本零士さんの残り香です。終盤に登場する同じネコ科のライオンは老若オスメス?の別なく写実的なのですが、ミーくんは松本漫画そのままです。

 今はもうセル画の類いを使う事は無いのでしょうけど、「宇宙戦艦ヤマト復活篇」「宇宙戦艦ヤマト復活篇ディレクターズカット」は、メカの部分はあらかたCGだったのですが、人物は一コマ一コマ描いていく文字通りのアニメーションだったと思います。人物による派手なアクションシーンが無いというのもあるとは思うのですが、アニメーションそのものの見せ場は無かったように思いました。

 「宇宙戦艦ヤマト2」のデスラー艦内で、古代進とデスラー総統が対峙する場面、デスラーが銃をかまえ、古代に向けるポーズや動きに関して、子供心に上手く描く人がいるものだなと感動した記憶があります。

 また、「ヤマトよ永遠に」の、火災が発生している有人機基地で、森雪が古代に指令書を読み上げる場面、書類を開いてからまず一瞬目を書面に落として読み上げるのですが、森雪の顔の動きや二人を照らす炎の照り返しが丁寧に描き込まれていました。

 どちらの場面も決して派手な動きがあるわけではないのですが、登場人物の、否、それを描いたアニメーターの演技が素晴らしかった。

 このCG全盛の時代にはもう、一コマ一コマ描いて動きを表現する等という事に興味を持つ人が、少なくなってきているのかもしれません。かつて私がアニメーションを観る事に感じた醍醐味の一つが、喪失されつつあるのかなと思いました。

 メカに関して、ラストシーンの移民船団とともに行動する艦艇の中に、「宇宙戦艦ヤマト復活篇ディレクターズカット」のみに登場するものがいくつか視認できました。第1作目の旧地球艦隊に似たもの、アンドロメダ(「宇宙戦艦ヤマト2」では10隻以上建造されている)やアリゾナ型の生き残りとおぼしき艦影、そしてアメリカでいえばエアフォース1のような政府機能を持ったブルーノア型の巨大な宇宙船や、ヤマトの同型艦ムサシも登場します。

 パンフレットには、ストーリーボードというのでしょうか、本格的な制作開始以前に描かれたと思われるイラストがいくつか掲載されているのですが、その中にはヤマトとその同型艦2隻が、横1列に並航しているものがありました。1隻は艦橋が大きく、波動砲が閉じられた艦で、劇中ムサシとして登場しました。もう1隻はほぼヤマトと同じなのですが、後甲板に第3主砲、第2副砲の代わりに、艦体から大きくせり出す構造物を背負った姿です。「宇宙戦艦ヤマト2」に登場した、主力戦艦の後部を飛行甲板にしたのと同じ戦闘空母かもしれません。ちなみに大東亜戦争中、伊勢、日向という後甲板を飛行甲板にした航空戦艦が実在しました。

 ラストシーン、地球を離れる事を肯んじない人々をのぞいて、最後の移民船団や残存する地球艦隊を見送った後、宇宙戦艦ヤマトはある別の任務を遂行する為に、独行を開始します。次作があるとしたら、これが伏線だと思います。

 私はかつて十三湊の勃興と衰亡で、

彼等が十三湖を後にしてどこへ行ったか定かではありません。彼等のその後の運命と、縄文中期に縄文時代で最も利便性に富んだ施設群を放棄した三内丸山の縄文人、そして小説「日本沈没」の中の、国土を海中に失い、世界へ散って行った日本人…。私にはこの3者の運命がだぶります。彼等の“The day after”が気になって仕方がありません。

と書きました。

 「宇宙戦艦ヤマト復活篇ディレクターズカット」は、「宇宙戦艦ヤマト復活篇」での牽強付会な感のある成り行きによるハッピーエンドではなく、あまりにも大きなものを失いながら、しかし、地球人類が新たな未来を築こうとする姿に、むしろ希望を感じさせられるラストでした。

 もちろん地球に残った人々(修行僧やアルプスの農夫等)、移民船が去った後の、つかの間ののびのびとした大自然を描いた場面もありました。

 アフリカの平原で、本来、互いにシビアな関係にあるはずの動物たちが、同じ方向を向いて一斉に歓喜の声を上げる場面、人類に対する痛烈な皮肉が込められていると思います。

 未曾有の災厄と自らの過ちによって、今、大きく傷ついた国土に住む我々は、それでもスクリーン上の23世紀の人類よりはるかに少ないハンディキャップで、再チャレンジの機会を与えられていると思います。

 「宇宙戦艦ヤマト復活篇」の形で、第1作が放映された昭和49(1974)年頃に流行ったゲイラカイトが、「宇宙戦艦ヤマト復活篇」公開中の平成22(2010)年正月、淀川河川敷で揚げられているのを見て、時々誰かが思い出したようにアメリカから来たこの凧を揚げるのと同様、「宇宙戦艦ヤマト」はこれからも作られていくのだろう、と記しました。

 私としては、一人ではなく、言葉を交わす事の無い大勢の人々と一緒にスクリーンを見つめる形で、これからの「宇宙戦艦ヤマト」を観る事ができたらと思います。

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 「宇宙戦艦ヤマト復活篇ディレクターズカット」が発売されますの中で、同作品がDVDとブルーレイで発売される事に加え、東京と大阪の映画館で1週間限定でレイトショーされる事に触れたのですが、大阪・心斎橋で観る事が出来ました。

 「宇宙戦艦ヤマト復活篇」の記事を、「宇宙戦艦ヤマト復活篇」の音「宇宙戦艦ヤマト復活篇」の形と分けたのと同様、「宇宙戦艦ヤマト復活篇ディレクターズカット」の音、「宇宙戦艦ヤマト復活篇ディレクターズカット」の形として書きたいと思います。これらを併せて読んでいただけたらと思います。

 「宇宙戦艦ヤマト復活篇ディレクターズカット」は、平成21(2009)年12月に公開された「宇宙戦艦ヤマト復活篇」に、様々な改変が加えられた作品です。最大の変更点は物語の結末が全く違う事ですが、何よりも私が歓迎したいのは、効果音が柏原満さんの手による旧作品群のものに戻された事です。

 「宇宙戦艦ヤマト復活篇」の音で、効果音に旧作品群ほどの手間が感じられない旨の記事を書きました。例えば主砲の砲声が、柏原さんの音の場合、砲門が光ってから射撃が終了するまでの径時変化が複雑な事や、目標に向かって砲塔が旋回する音の生々しさ、砲身の上下角を固定する「ギキュキュキュッ」まで作り込まれていた、としました。

 これらの事に加え、記事中いくつか旧作品群の効果音について触れたり、その後、かなりの量の追記を繰り返した理由は、単に旧作品群の音に聴覚が慣れ親しんだ事から来る違和感ではなく、旧作品群と「宇宙戦艦ヤマト復活篇」の効果音の間に、はっきりとした力の差を感じたという事を言いたかったからです。

 柏原さんの効果音の復活で、「宇宙戦艦ヤマト復活篇ディレクターズカット」に臨場感が増した事は間違いなく、「宇宙戦艦ヤマト復活篇」のエンディングタイトルロールでは、音響スタッフの最後に小さく「協力 柏原満」だったのが、「宇宙戦艦ヤマト復活篇ディレクターズカット」ではお一人で、「オリジナルサウンドエフェクト 柏原満」とクレジットされていたのが、本当に嬉しかった。

 ちなみに佐渡酒造先生の愛猫ミーくんの鳴き声とのど鳴らし、「サザエさん」の猫のタマと同じ音です。ついでに書くと「さらば宇宙戦艦ヤマト」で、ヤマトの艦首ミサイルが都市帝国の上半分のガスに跳ね返される音、タマがジャンプする音と同じです。柏原さんは「サザエさん」の効果音も担当されています。

 また、サウンド&レコーディングマガジン創刊号のローランドの提供記事「サウンドコラージュ」によると、Roland SYSTEM-100Mが「ヤマトよ永遠に」から使われています。この作品から敵側の艦載機やビームの音が変わった理由は、SYSTEM-100M導入によるものかもしれません。敵側艦載機の飛行音に関して、私は第1、2作までの高速道路を走るバスかトラックのような音の方が好きでした。

 BGMに関しても触れておきたいと思います。

 SUSの巨大要塞の登場シーンのエドバルド・グリーグのピアノ協奏曲が別の曲になっている等、クラシックよりも旧作品群からのチョイスに置き換わっているケースが多かった。

 例えば戦闘シーンでは、「さらば宇宙戦艦ヤマト」で波動砲を渦の中心に打ち込まれた白色彗星が炎上するシーンに流れた曲や、「ヤマトよ永遠に」音楽集第2集に入っていた「大決戦」のシンセサイザーとチューブラーベルの後に続くオーケストラ演奏の部分(「ヤマトよ永遠に」劇中では未使用)が使われたりしました。それらの変更は、いずれも作品をより良い方向へ持って行ったと思います。

 残念ながらモノラル録音故か今回も、「宇宙戦艦ヤマト」テレビシリーズ第1作のBGMは使われませんでした。アクエリアスの氷原を割ってヤマトが飛び立っていく場面、「宇宙戦艦ヤマト復活篇」ではジ・アルフィーによる「宇宙戦艦ヤマト」テレビシリーズ主題歌の変奏曲だったのですが、今回はインストゥルメンタルに置き換わっていました。できればオリジナルBGMコレクション「宇宙戦艦ヤマト」Part1(日本コロムビア)でいうところの、「元祖ヤマトのテーマ」にしていただきたかった。

 また、第1作の、展望室で古代進が森雪と記念撮影をしようとしてひっぱたかれるシーンや、佐渡先生が日本酒を呑みながら宇宙遊泳するシーン等で流れた「ロマンス」「草原」といった小品を、できれば「宇宙戦艦ヤマト復活篇ディレクターズカット」でも耳にしたかった。佐渡先生が古代夫婦の一人娘、美幸に、両親は守るべき人がいたからこそ戦ったと語るシーンにBGMは無かったのですが、仮に使うとしたら、シリアスな曲より「ロマンス」「草原」の方が佐渡先生らしい気がします。

 最後に「宇宙戦艦ヤマト復活篇ディレクターズカット」に関する事を調べていて知った事を記します。

 エンディングタイトルロールで「音響スペシャルアドバイザー」としてクレジットされた旧作品群の音響監督、田代敦巳さんは、既に平成22(2010)年7月、この世を去っています。

 私の、音楽と音を一緒くたに捉える感性を育んでくれたのは、まぎれもなく子供の頃に観続けた「宇宙戦艦ヤマト」シリーズであり、その後、シンセサイザーへの興味や所有するに至った淵源は、まぎれもなく田代さんのお仕事です。

 「宇宙戦艦ヤマト」シリーズの、聴覚に訴求する関する部分を作り上げた最高の功労者に、感謝したいと思います。

 「宇宙戦艦ヤマト復活篇ディレクターズカット」の形に続きます。
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