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 「月見坂(つきみざか)」は、アルバム「桃源郷」収録曲のうち「風のかほり」とともに、せんせいしょんのギター(アコースティック/エレクトリック)/尺八/横笛奏者、大久保正人(おおくぼ・まさと)さんの作曲です。

 タイトルは「月のあかりはしみわたり」(アルバム「北天幻想」より)で触れた、岩手県平泉町の中尊寺境内にある坂の名にちなんだものと思われます。ちなみに姫神せんせいしょんの「奥の細道」(シングル及びアルバム)のジャケットのあの茅葺き屋根の東屋は、月見坂を登って右脇へ入った所にある積善院(せきぜんいん)です。

 私は初めて「月見坂」を聴いた時、かなり以前に雑誌のグラビアで見た、雪中にたたずむお地蔵様達の姿を想起しました。いつどこでそのグラビアを見たのか等を完全に失念したのですが、そのお地蔵様達の、風雪に耐えるというよりは、むしろその状況を堪能しているかのような表情だけは克明に憶えていて、「月見坂」を聴いているうちに、形や色、そして放つ気配を思い出しました。

 昨秋、第49回東京名物神田古本まつりで大量の本を買ったのですが、その中の1冊、「サライ」平成7(1995)年第21号の「サライ美術館」は、高橋喜平(たかはし・きへい)さんの特集でした。高橋さんは雪氷学(せっぴょうがく)の権威であると同時に、写真家、エッセイストでもありました。

 特集は、雪まくりや氷盤つらら、冠雪(かんむりゆき)、雪ひもといった、雪と氷が織りなす不思議な光景を収めた写真が多かったのですが、それとは別に、姫神山と峰つながりの天峰山(てんぽうざん)山中の、ある尼寺を囲むように立つお地蔵様達のものが3点ありました。

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 私がかつて見たグラビアでした。

 高橋さんがとらえた、藍色のショールをまとって首まで氷雪に埋まって立つお地蔵様達の美しさ、妖艶さ、まなざしの優しさにあらためて感動したのですが、その中の1枚「吹雪の雪女」という写真には、
降る雪や わが生涯の 雪女
という高橋さんによる句が添えられていました。

 私は子供の頃から、インストゥルメンタル音楽の個々のパートやフレーズに、人やもの、事象を当てはめて物語や情景を想像することがあります。この「月見坂」の場合、それが上で挙げた雪原のお地蔵様の写真と結びつく形で広がっていきました。

 曲の始端や終端で鳴っている「キコカコキコカコ…」というオスティナートは、陽や月や星の明かりを受けて光る雪の結晶を、シンセサイザー黎明期の音楽でよく耳にした少々懐かしい音色で奏でられる「ポーンポォーン、ポンポポォーン…」というメロディは天峰山の雪原の広がりと寒気を、途中で唄い上げるバイオリンは雪女(お地蔵様)達の立ち姿を、アコースティックギターは撮影当時既に80歳を越えていたにもかかわらずカンジキをはいて1人厳冬の天峰山を彷徨し、雪女を見つけるとカメラを持ち上げてファインダーを覗く高橋喜平さんの姿を思い浮かべました。

 そして、昼間カメラを向けていた高橋喜平さんを含め、湿った温かい息を吐く存在がことごとく去り失せた、月明かりが降り注ぐ天峰山の夜にたたずむお地蔵様達の姿も、この「月見坂」を聴きながら想像してしまいます。

 高橋さんが撮影したこの氷雪の中に立つお地蔵様達の写真は、後に「俳句の雪女」と題して岩手日報社から刊行されました。「吹雪の雪女」はその表紙を飾っています。1996年1月の日付の「俳句の雪女」の後書きは、
雪女 連れてあの世へ 「さようなら」
という句で終わっています。

 高橋喜平さんは10年後の平成18(2006)年2月1日、この世を去っています。


参考資料

「サライ」平成7(1995)年第21号(小学館)
天峰山が“天宝山”と誤植されています。

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「俳句の雪女」(高橋喜平著、岩手日報社刊)

 大阪市内の某大型書店店頭にて注文したところ、「出版社にて品切れ。再販未定。他店舗に在庫無し」とのことだったのですが、岩手日報社さんの通販サイトで注文したところ、入手することができました。


岩手日報社サイト
http://www.iwate-np.co.jp/

 トップページ → 出版ガイド オンラインショップ → 趣味と進むと「俳句の雪女」があります。ちなみに、出版ガイド オンラインショップ → エッセイと進むと、姫神・星吉昭さんの「北の風 あおあおと」があります。

「高橋喜平さん」(「吉田屋ノート」より)
http://yoshinote.exblog.jp/3133186/

「地蔵菩薩」(「イーハトーブ・ガーデン」より)
http://nenemu8921.exblog.jp/9297498/
「吹雪の雪女」達の6月の姿の画像があります。

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 「風の人」は、アルバム「風の伝説」のラストナンバーであり、姫神・星吉昭さんの、文字通りの遺譜となりました。

 フォークソングやニューミュージックのシンガーソングライター達と違い、星吉昭さんは作品中に“私(わたくし)”を露骨には描き込むことの無かった音楽家でした。私的な事は五線紙ではなく原稿用紙、つまり、エッセイ「北の風 あおあおと」(岩手日報社刊)に綴られています。

 しかしながらこの「風の人」という曲は、姫神というよりは、星吉昭さんのごく私的な音楽だと思われます。私がそう思った理由は二つあります。

 一つは、この「風の人」にはいわゆる姫神風のシンセサイザーの音色が無く、シンセサイザーの演奏に姫神風のピッチベンドを効かせることも無ければ、縄文語/姫神語の歌詞も無く、そして姫神ヴォイスの唄にも民謡風のメリスマ(こぶし)があまり織り込まれていません。

 また、姫神ヴォイスは収録した声が一種の音素片として扱われる(サンプラーやパソコンベースの録音ツールで切り貼りしたり、声質を加工する)ことも多いのですが、「風の人」は唄にさほどの加工が施されてなく、聴く者のすぐそばにいて語りかけてくるような中島和子さんの唄は、ごく自然な音声(おんじょう)のように感じます。つまり、姫神を姫神たらしめている種々の要素を、この曲は内包していないということです。

 そしてもう一つ、現代語で綴られた歌詞の内容が、ご自身の人生に対する回顧、そして、星さんが縁(えにし)を持ったひとへの遺言のようにとれるということです。

 あるいは星吉昭さんは、否応無しにご自身の人生のタイムリミットを意識せざるを得ない状況になった後で、この「風の人」の構想を練ったのかもしれません。作品に“私”を織り込む事の無かった星吉昭さんの唯一私的な作品として「風の人」は書き遺された、そんな気がします。

 星吉昭さんの姫神は、バッハやベートーベン、モーツァルト、あるいはビートルズのような汎世界、汎時代、汎社会的な認知を得ることはありませんでした。知る人ぞ知る、に終始しました。

 しかしながらいつの時代にも、開設のごあいさつで記した1980年代初頭の私のような、汎〜的、あるいは普(あまね)く〜で括られるものに満足できない人間がいて、星さんの遺した諸作品は、むしろそういう人の心をこれからも魅了しつづけていくと思います。

 そういう人達にとって星さんの音楽は、今後もシンセサイザー音楽黎明期の古典としてではなく、生まれたばかりの新鮮さを以て鳴り響くのでしょう。作品が生き続けるというのは、そういうことだと思います。

 姫神は星吉昭さんから長男の吉紀さんへと引き継がれ、活動は続いています。アルバム「天∴日高見乃國」の制作、外宮勾玉池での神嘗祭奉祝演奏会に続き、来る平成20(2008)年10月25日、内宮宇治橋前の特設会場で、姫神にとって3度目の伊勢神宮での奉納演奏会が行われる予定です。

 まもなく、姫神・星吉昭さんが逝った10月1日を迎えます。
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 「風に消えた歌」は、一時期より音数の減った姫神・星吉昭さんの晩年の作品の中でも特に音が少なく、リズムパートも無いのですが、姫神ヴォイスの中島和子さんの唄とシンセサイザーの楽音とが相まって、むしろ壮大さを感じさせてくれるナンバーに仕上がっています。曲が進むにつれ、唄と伴奏がこれほど劇的に高揚していく展開は、姫神のボーカルナンバーの中でも珍しいのではないでしょうか。

 イントロとエンディングで聴こえる笛の音は、アルバム「天∴日高見乃國」(3)で触れた、マキシシングル「未来の瞳」制作時に収録された星吉昭さんの吹いた笛のサンプル音です。

 平成9(1997)年の晩秋、千葉県勝浦市の浜辺の宿から、夜どおし海を見ていたことがあります。風も波も至極穏やかな、静寂の中の海でした。房総半島南部の東岸から見る島影も船舶も浮かんでいない広大な大平洋は、京葉間の市街地や工業地帯の灯火の影響を受けていないからか、星空が水平線にまで降りて来ていました。

 やがて東の水平線からドーンパープルが拡がって来て、それがだんだんピンク、白へと変わり、太陽が昇って来ました。普段、市街地でギザギザした多角形の狭い空しか仰いでいない私にとって、この夜明けはあまりにも劇的で、今さらながら自然の雄大さと人間の営みのちっぽけさとを想起させてくれました。

 後年、初めて「風に消えた歌」を聴いた時、曲の展開が、私が房総半島で見たこの払暁(ふつぎょう)の光景とシンクロしているように思えました。「風に消えた歌」を聴く度、この夜明けの壮観を思い出します。

 「風に消えた歌」は、平成16(2004)年5月14日の吹田メイシアター公演で披露されたのですが、私にとって公演のクライマックスはまさにこの曲で、その主人公は中島和子さんの唄だったと思えました。中島さんは、CD収録と全く変わらないあの高音を、表情一つ変えずに出していらっしゃいました。

 ちなみにこの公演中この「風に消えた歌」でのみ、中島さんは他の曲の時とは別の、デコラティブ趣味にあふれた眩(まばゆ)いばかりの絢爛な衣装をお召しでした。送り手側でもこの曲を、公演プログラムの一つの山場とお考えだったのかもしれません。「風に消えた歌」に夜明けのイメージを得たためか、私には太陽をシンボライズしたデザインの衣装のように思えました。
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 「みみずく」(アルバム「桃源郷」より)からの続きです。

 リアルタイム入力ができるシーケンサーの無い時代、デジタルシーケンサーの役割は主に手弾きでは不可能な無機的な演奏のための道具、さしずめ正確な直線をひくための定規や円を描くためのコンパスのようなものでした。手弾きと打ち込みの用法に明確な分水嶺があったわけです。

 かつて姫神せんせいしょんも、デジタルシーケンサーRoland CSQ-600とシステムシンセサイザーRoland SYSTEM 100Mの組み合わせや、リズムマシンの名機中の名機Roland TR-808を使っていました。いずれも無機的なオスティナートやリズムパートでの使用でした。

 しかしながらYAMAHA QX1やApple MacintoshとそのシーケンスソフトMOTU Performerといった手弾きのデータを修正する形で活用できる高分解能のMIDIシーケンサーの登場以降、打ち込み使用の動機が、その効果を狙ったというよりも、制作の省力化、低コスト化へと変わっていったように思います。

 せんせいしょんのアルバム「桃源郷」はできるだけ生演奏、生録音にこだわったとのことですが、だからこそ打ち込み(MIDIシーケンスだけでなくDAW上のオーディオデータも含む)が、先に述べた本来の目的の部分で効果的に駆使されています。そしてアルバム「桃源郷」中、奏者が打ち込みにまかせざるを得ないぎりぎりにまで寄り切ったタイトな演奏と、かつての打ち込み故の無機的な効果、この二つの要素を併せた形で最も判りやすく聴くことができるのは、この「みみずく」ではないでしょうか。「みみずく」のE.ギターのカッティング、E.ベース、ドラムは実に丁寧な演奏だと思います。しかし人間の耳は生演奏故のムラを感知していて、それが「みみずく」を有機的な趣きに感じさせるのだと思います。

 私が「みみずく」(アルバム「桃源郷」より)で、

口にしたワサビの辛さに右往左往する2人の妖精のイメージ

とした間奏部分で聴くことができるドラムの特徴的な無機的な連打は、おそらく直前までの佐藤将展さんのドラム演奏の一打一蹴のオーディオデータを、DAW上でコピー&ペーストして出している効果だと思います。

 メロディ(「チュンチュチュチュチュン!…」と聴こえる)を奏でる撥弦系のシンセ音は、ワークステーション機、例えばKORG TRITONシリーズだとカテゴリーFast内のプリセット音Perky Bleeperや、アナログモデリングシンセサイザーKORG R3のカテゴリーPOLY SYNTHのEl Pizzoに、エディットを加えれば似てきます。これらのプリセット音はいずれも元々はFM音源デジタルシンセYAMAHA DX7に入っていた弦のピチカート奏のシミュレーション音をさらに模したものと思われます。ちなみにせんせいしょんとは全く関係無いのですが、阪急電車梅田駅で列車の発車時に流れる音楽は、おそらくこのDX7のピチカートの音で奏でられています。

 またアルバム「桃源郷」(3)で、

「みみずく」の1分13秒あたりから始まるリード音と酷似した音が、昭和60(1985)年に放映されたNHK教育「ベストサウンド」で、講師の難波弘之さんが披露した「時計の匂い」の間奏でKORG MS-20の実機から出ていました。「みみずく」のこのリード音はLegacy MS-20かもしれません。

と書いたのですが、このリード音の後ろで「ポコポコ…」というどこかコミカルなフレーズを奏でている極端にディケイタイムが短い音、年齢30代後半以上の人であればガーション・キングスレイさん作曲「ポップコーン」のホットバター版を、そして若い人であればテレビドラマ「電車男」のあるBGM(「ペッポッポッポッペッポポポッ…」と聴こえる)を想起するのではないでしょうか。


Popcorn by Hot Butter!!! (Original)(YouTubeより)
http://jp.youtube.com/watch?v=9N4ckFN96-k
 数々の「ポップコーン」カバーの中で最もよく知られた演奏だと思います。ちなみに私がたしか小中学生だった頃、吉本新喜劇の土曜日のテレビ放映でタイトルロールのBGMとして使われていました。

Gershon Kingsley plays Popcorn 2007(YouTubeより)
http://jp.youtube.com/watch?v=dZWfywvuHt0
 ガーション・キングスレイさん自身のピアノ演奏。投稿もご本人のようです。「ポップコーン」を耳にして30年くらい経ちますが、実はこれほど清澄な曲だったのかと驚かされました。映像終端のガーションさんの笑顔、まさに“粋Z(いきジー)”ですね。

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 アルバム「天∴日高見乃國」(2)からの続きです。

 アルバム「天∴日高見乃國」はボーカルナンバーとインストゥルメンタルで構成されていて、シンセサイザー/パーカッション姫神・星吉紀さん、姫神ヴォイス(中島和子さん、志和純子さん)の唄の他に、三弦/津軽三味線の黒澤博幸さん、箏(こと)の稲葉美和さん、「砂山・十三夜」で触れたバイオリン山本友重さん、チェロ柳瀬順平さんといったアコースティック楽器の演奏家が参加しています。シンセサイザーの左右の広がりに、アコースティック楽器が奥行きを添えていると思います。

 アルバム「天∴日高見乃國」はどちらかというと灰汁(あく)の感じられないさらりとした編曲演奏で、前作「風の伝説」に通ずる清澄感があります。あるいはアルバム「風の伝説」完成からさほど時を経ないうちに、制作は開始されていたのかもしれません。ただ「天∴日高まつり」は、平成19(2007)年の伊勢神宮の神嘗祭を奉祝する曲を…という注文を受ける形で作られた、つまり制作時期が違う可能性があります。この曲が他の収録曲とは趣きを異にすること、そして歌詞が後付けというよりは始めにありきの感があるということがその理由です。もちろん実際どうなのかはわかりません。

 「天∴日高見乃國」の編曲演奏に突飛な変化が無く、近作の感触を引き継いだ趣きになっていることからして、星吉昭さんから星吉紀さんへの様々な委譲が、星吉昭さんを見舞った健康上のアクシデントを理由に慌ただしく行われたものではなく、遠くは星吉紀さんが初めて参加したアルバム「マヨヒガ」から営々と為されて来たのではないでしょうか。作品を重ねる毎に物理的な作業の担い手が、星吉紀さんへと移っていったと思われます。星吉昭さん没後のたしか新聞のインタビュー記事で、姫神を続けていくことに関して「不安は無い」と星吉紀さんが答えているのを読んだ記憶があります。それは既に姫神の制作作業そのものに深くかかわって来たことによる自信ではないでしょうか。

 姫神ヴォイスの唄う歌詞はこれまでの姫神語(今回も歌詞及び意味の公開はありません)のものに加え、東北弁の「日高見山嶺」、光白(こはく)さんの作詞による「天∴日高まつり」があります。「天∴日高まつり」の歌詞を読むと、素人目には何だか神職の上げる祝詞(のりと)のようにも思えます。

 このアルバムには、故人である姫神・星吉昭さんも参加しています。

 マキシシングル「未来の瞳」リリース時(平成12年7月)に店頭で配布されたリーフレットに、
さらに自分で笛を吹いた。「自分の息を刻みたかった」
とあります。星吉昭さんの笛の演奏そのものを録音したのではなく、サンプラーの音素片として、「小春日和」の間奏等を含むマキシシングル「未来の瞳」の全ての収録曲、続くアルバム「千年回廊」「青い花」や遺作となった「風の伝説」のいくつかの曲に使われました。

 そしてこの笛のサンプル音は、星吉昭さん没後の今回のアルバム「天∴日高見乃國」でも、「壮麗詩〜大地の祈り〜」「真白畿笛」「常葉の杜〜明日への夕暮れ〜」等で使われています。今は奥津城に眠る奏者が遺した“刻んだ息”を、跡を継いだ息子さんが楽音として演奏し、その音に我々が耳を傾ける…。無機質な感のあるシンセサイザーのテクノロジーが、あたたかいかたちで、故人と、今を生きる人々を繋いでくれているような気がします。

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 アルバム「天∴日高見乃國」(1)からの続きです。

 日高見という名が登場するのは「日本書紀」の、

東夷の中、日高見国あり、其の国人男女並(とも)に髪結(かみをあげ)身を文(もろと)げて、人となり勇悍(いさみたけ)し。これを全て蝦夷(えみし)と曰ふ。亦(また)土地(くに)沃穣(こ)えて曠(ひろ)し。撃ちて取るべし

という一文です。武内宿禰(たけのうちのすくね)という人物が奏上したそうです。一応の公式の史書に初めて登場するのが、あからさまな侵攻の提案だったということからして、その後のこの地域の扱われ方がよく分かります。日高見国が大和のような統一された国家だったのかどうかはわかりません。

 日高見は、大和による多賀城構築の時期(神亀元年:西暦724年頃)には、今日の岩手、青森県を除く地域が征服され、アテルイ(平成20年4月1日のアテルイの首塚等参照)と坂上田村麻呂の戦い、その後勃興した現地豪族安倍氏と源氏の前九年/後三年の役、そして奥州藤原氏による平泉での百年間の御館政治と続いた後、源頼朝の奥州征伐によって、政権という点では完全に独自性を失いました。

 しかしながら、日本人を日本人たらしめている部分は今日に至るまで、実は日高見/蝦夷由来なのではないでしょうか。古くは大陸、近代では欧米から習い憶えた事柄ではなく、この列島に住む人々が元から持っていたもの、元からあったものが、今日我々の独自性として発露しているのではないでしょうか。そして旧日高見国地域は、それが新しい時代にまでより純粋な形で残ることができた土地ではないでしょうか。それは人間の文化だけではなく、白神山地のような本来の日本の自然の姿であったりもします。

 ちなみに、どなたの言葉か、そしてどこでそれを見知ったのかを全く憶えていないのですが、日本の現代は実は縄文時代の飛び地であるという考え方すらあるそうです。

 私は東北地方の歴史や文化について考える時、東北あるいは日本列島の地図を、上下、つまり南北を逆さまにして机上において眺めることがあります。北を自分の体の側に置いて地図を見ることで、平城京、平安京、鎌倉、江戸/東京から意識するのではなく、東北地方からの視点で地理と歴史を関連づけて考えることができるからです。

 例えば「田村麻呂が奥州に“行った”、アテルイが歯向かって“来る”」という見方は、地図を南を下に、つまり平安京を手前に置いた目線ですが、これを南北をひっくり返して胆沢(いさわ)あたりを手前に置くと、「田村麻呂が“来た”、アテルイが迎撃に“行く”」という風に変わります。

 地図を逆さまにしてご覧かどうかはともかく、姫神も、歴史や文化を奈良や京都、東京ではなく、例えば平泉や十三湊(十三湊の勃興と衰亡参照)を手前側に置いて考えて来たのではないでしょうか。

 アルバム「天∴日高見乃國」は、日本列島全体に残りつつも、姫神から見て、遠くよりも手前の北の方がより濃厚な日高見/蝦夷の面影に想いを馳せ、讃え歌った音楽だと思います。

 アルバム「天∴日高見乃國」(3)へ続きます。

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 来る平成20(2008)年6月21〜22日、岩手県盛岡市内の複数の会場で催される“いしがきMUSIC FESTIVAL'08”の連動企画“肴町音楽祭”に、せんせいしょんの出演が予定されています(5月27日現在)。

 肴町WEB SITEによると、肴町音楽祭の日時は6月21日(土)10時30分から18時。肴町アーケード内に2ヶ所の特設ステージを設けるそうです。入場無料。

 ちなみに肴町(さかなちょう)は、姫神・星吉昭さんのエッセイ「北の風 あおあおと」(岩手日報社刊)の「酒」の章の冒頭に登場する、ある居酒屋のある町です。「北の風 あおあおと」によると、星さんが日本酒を嗜み始めた理由の一つは、この店のホヤと塩辛が絶品だったからだそうです。

 肴町音楽祭の詳細は以下で。


6月8日追記。

 いしがきMUSIC FESTIVAL'08の公式サイトに、ライブスケジュールと会場に関する情報がPDF形式で公開されています。それによるとせんせいしょんの出演は、BEATNIK STAGEで12:00〜12:40。肴町ステージの方は「出演予定!」となっています。詳しくはいしがきMUSIC FESTIVAL'08の公式サイトにて。


肴町WEB SITE
http://www.sakanacho.com/

いしがきMUSIC FESTIVAL'08
http://www.ishigaki-fes.jp/pc/index.html

いしがきフェス肴町音楽祭♪(「なんだりかんだり」より)
http://blog.livedoor.jp/medium8/archives/51345902.html
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 岩手県で活動する音楽グループの作った「みみずく」となると、ついフクロウを好んだ岩手県の誉れともいうべきあの人物と絡ませてしまいます。

 その人物、宮沢賢治が描いたミミズクの絵をあしらったもの(何だったか忘れました)を、以前岩手県花巻市内で見かけました。賢治の童話にはフクロウが出て来る「二十六夜」「林の底」がありますが、その内容とせんせいしょんの「みみずく」の曲の雰囲気とはかなり違いがあります。やはり童話ではなくあの絵のミミズクではないでしょうか。賢治の絵のミミズクはたしか満月を背に木の枝にとまっているのですが、「みみずく」のミミズクは、深夜、突如羽を広げて絵の中から抜け出し新月の闇夜を飛翔彷徨している、どこか妖しく、しかし可愛らしい様子(今風に言うと「キモカワイイ」ということになるのでしょうか)を描いているような気がします。

 ちなみに月にミミズク(木菟)という取り合わせは、浮世絵(広重「松上の木菟」「月に木菟」等)にも見られます。

 闇夜を彷徨するミミズクのイメージは「みみずく」というタイトルに誘導された側面が大きいのですが、私はそれとは別に、私が小学校低学年の時に使った国語の教科書に載っていた、柱時計に住む妖精達の物語を思い出しました。「チックとタック」です。原作は千葉省三(ちば・しょうぞう)さん、挿絵は安野光雅(あんの・みつまさ)さんです。あの独特の挿絵と併せて、この物語をご記憶の方も多いと思います。

 ある人(妖精達は“おじさん”と呼んでいる)が眠れずにいた夜、柱時計が午前零時の鐘を打つと、それまで聞こえていた時計の「チクタク…」という動作音が止み、時計の中から男の子の妖精が2人現れます。2人はおじさんが眠った振りをして様子をうかがっていることには気づかず、おじさんへのいたずらの相談をしたり台所へ行ってつまみ食いをしたりするのですが、寿司のワサビがだめだったらしく慌てて時計の中に逃げ込みます。それから時計の音が「ヂグダグ…」と濁ってしまった、というお話です。

 私には「チックとタック」のストーリーの展開と「みみずく」の曲の展開が、何だか同期しているように感じられます。特に「みみずく」に独特の興趣を添えている間奏のあのドラムパート(次の「みみずく」の機軸で触れます)が、私には口にしたワサビの辛さに右往左往する2人の妖精のイメージと結びつきました。

 「チックとタック」は、光村ライブラリー第一巻「花いっぱいになあれ」(光村図書出版)に収録されています。挿絵もかつて小学生の私が見たものが使われています。

 「みみずく」の機軸へ続きます。


今月の篠井物語…「チックとタック」(篠井の広場より)
http://www2.ucatv.ne.jp/~tp_sntik.flower/shinoi_story/shinoi_story_top.htm
イラストは教科書で使われたものではありません。

ちびくろ・さんぼ~チックとタック(Web Cafeより)
http://yoco.blog.so-net.ne.jp/2005-06-12
教科書で使われた挿絵を1点見ることができます。
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 「ウスユキ草」というタイトルは、おそらく岩手県の早池峰山に見られるハヤチネウスユキソウにちなんだものと思われます。ヨーロッパアルプスのエーデルワイスに似た植物だそうです。

 東北地方は日本列島の中で比較的古い時代に形成された地域であり、氷河期には本州中に咲いていたらしい北方系の植物が、その後もそのままに、あるいは独自の進化を遂げて生き残っているケースがあります。固有種であるハヤチネウスユキソウもその一種なのかもしれません。

 そういえば、私はスズランが北海道だけではなく本州にも一部生育地があることを、松本清張の小説「すずらん」(殺人及び死体遺棄の現場は山梨県のスズランの群生地だが、北海道のスズランの群生地での写真をアリバイ工作に使った)で知ったのですが、後に岩手県の姫神山にも5月になるとスズランが一斉に咲き誇ると聞きました。

 話をせんせいしょんの「ウスユキ草」に戻します。残念ながらウスユキソウのイメージそのものが私の中に無いので、タイトルと曲とが結びつくことはありませんでした。

 「ウスユキ草」を最初に聴いた時、思わず杜丘俊さん撮影のアルバム「桃源郷」CDジャケットの画像を手に取って見つめなおしました。私の中で「ウスユキ草」の曲想は、夕映えと雲海の中に浮かぶ岩手山、そしてススキの穂という、このジャケットの画像と結びつきました。この画像が1枚の写真なのか何枚かの写真をDTPか写真製版で合成したものなのかはわかりませんが、これまで八幡平や小岩井農場、かつての玉山村といった岩手県下を旅したおりに吸い込んだ、あの清澄で柔らかく、そして土や草木の香(か)を含んだ大気の感触を思い出させてくれます。

 曲中、伊藤英彦さんのフレットレスベースが2回登場しますが、一度目はジャケット画像の奥羽山脈の向こうへ没してゆく夕陽を、二度目ではそれを見送るように暮れ方の空に立つ岩手山を象徴しているように感じました。イントロのピアノやパッド、そして後半に盛り上がるストリングスは紫やピンクに染まった天空の広がりを、また女声ハミングかテルミンのような優しいようでどこか冷めたリード音によるメロディは、歓喜と哀調を併せ帯びていて、このジャケットの画像の空間を吹き渡ってススキの穂を揺らしていく、一陣の“生まれてから一度も物に当たっていない風、生まれたての風”(「綿津見に寄せて」参照)の音表現のように感じられました。

 「ウー」とか「ゥワー」と聴こえる女声ハミングかテルミンのようなリード音は、アルバム「桃源郷」中、「夏まつり」のメロディや「みみずく」の裏メロでも使われています。かつてシンセサイザー黎明期から1980年代初頭にかけてあらゆるジャンルの音楽で耳にした、少々懐かしい音です。Roland Fantom G試奏記でも触れましたが、いずれシンセ音色関連の記事で採り上げます。

 平泉や遠野も好きですが、私が気に入っている岩手県のスポットは、実は夏の盛岡城址(先般「岩手公園」から「盛岡城跡公園」へと改称が決まったそうです)のたしか南か西側石垣の上にあるベンチです。ヒグラシの唄を聴きながら生まれたままの風を感じつつ、真っ平らな大地のその向こうに屹立する奥羽山系の彼方に沈んでゆく夕陽を眺める…、本来、都市部のど真ん中では味わえないはずの大自然のドラマを堪能できるVIP席だと思えるからです。私が最後に盛岡市に立ったのは8年前であり、今、その場所と周辺がどうなっているのかはわかりませんが、もし同じシチュエーションを再び体験できたとしたら、その時私の脳裡に鳴り響くのはおそらくこの「ウスユキ草」だと思います。

 せんせいしょんは、自分達が暮らしている場所とそこに住む人々を讃え歌ったアルバムに、何の衒(てら)いも無く素直に「桃源郷」というタイトルを冠しました。そして、この場所こそが桃源郷であるというその想いが最も込められたのは、この「ウスユキ草」なのかもしれません。
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 かつてシンセサイザーメーカーのコルグが出していた冊子サウンドメイクアップ昭和58(1983)年2月号「ワンページデスマッチ」のコーナーは、姫神・星吉昭(ほし・よしあき)さんが執筆しました。

 KORG Polysixに関する操作感や「舞鳥」(アルバム「姫神」より)に使用した音色の設定等に関するエッセイ(笛、さまざま2及びKORG OASYS EXi LAC-1 PolysixEX試奏記参照)だったのですが、その冒頭、星家で行われたある正月行事についての記述があります。

 「成り木責め(なりきぜめ)」という小正月の行事があるそうです。家にある実の成る木(栗、柿等)に、その家の戸主が鉈(なた)を持って仁王立ちにかまえ、そして子供達がその木のまわりに立ち、戸主が「成ら成ら切るぞ、成ら切るぞ」と大声で唱え鉈を構えて切りつける仕草をする、子供達が木の代わりに「成ります、成ります」と唱え、これをもって木がその年、実を付ける約束をしたこととされます。

 当時岩手県滝沢村にあった星邸に木は無かったのですが、“鳴る機”、つまりシンセサイザーがありました。4歳の息子さんを機の代弁者とし、Polysixを始めとするシンセサイザー1台1台に“鳴り機責め”を行ったそうです。その年、“機”達は姫神せんせいしょん最後のアルバム「姫神伝説」で、戸主との契約を果たしました。

 この時、父、星吉昭さんの「鳴ら鳴ら切るぞ、鳴ら切るぞ」という責めに対し、シンセサイザーの代わりに「鳴ります、鳴ります」と約束させられた4歳の男児は、その後、平成7(1995)年夏に出されたアルバム「マヨヒガ」以降、自らその鳴る機を駆って音楽を作る立場になり、そして今は田瀬湖畔スタジオの戸主となりました。

 既に昨年から事実上頒布(はんぷ)されている「天∴日高見乃國(あま∴ひたかみのくに)」は、姫神を星吉紀(ほし・よしき)さんが率いるようになって初めてのアルバムです。アルバム「天∴日高見乃國」以前にもいくつかの曲が、オムニバスアルバム中の1曲や写真集に添付される形で出たそうですが、私は耳にしていません。星吉紀さんが姫神を継いだことに関する私見は平成16年10月1日以降の姫神に関してで、そしてその後、アルバム「天∴日高見乃國」を手にするに至った経緯について神嘗祭奉祝演奏会で記しています。

 平成16年10月1日以降の姫神に関してで、
星吉昭さんは亡くなりましたが、これは姫神というグループにとって、単にメンバーの1人が病没したという事であって、残ったメンバーがグループを続けていく事はごく自然な成り行き
と一口に書きましたが、もちろん実際は新しい制作体制を敷くまでに、星吉紀さんはじめ関係者が数多の労力や時間を費やしたことは想像に難くありません。しかし、ともあれ新しい姫神は神嘗祭奉祝演奏会その他何本かの公演を成功させ、アルバム「天∴日高見乃國」は我々の手許に届きました。世界遺産登録をめざす平泉のイメージを奏でた「浄土悠遠(じょうどゆうえん)」も制作されました。創作活動の環境は整ったということだと思います。

 アルバム「天∴日高見乃國」(2)へ続きます。


 平成20年4月11日追記。

 本日タワーレコード難波店さんのニューエイジ/ヒーリング音楽コーナーへ寄った所、アルバム「天∴日高見乃國」がけっこう沢山置いてありました。試聴もできるようになっていました。
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