「姫神風土記」がリリースされたのは、平成元(1989)年3月21日。消費税施行の直前でした。そのことが絡んでの事だと思うのですが、この頃から、レコード業界はLP等のアナログレコードをリリースしなくなりました。前作「時をみつめて」は最後のアナログ盤となりました。

 そしてこの頃、日本はまさにバブル景気の繁栄に酔いしれていました。当時のテレビのCMは、男が腰に手を当てて高笑いをしているものが、やたらと多かったのをよく憶えています。牛若丸三郎太(実は俳優の時任三郎さん)の唄う「勇気のしるし(リゲインのテーマ)」がヒットしたのは、この年でした。

 話が横にそれるのですが、平成10(1998)年末、某缶コーヒーのテレビCMを見て、やっぱりジャパンマネーはすごいなあ、缶コーヒーのCMにクリントン大統領を引っ張って来るなんて…と感じ入ったのですが、よく見ると大統領のそっくりさんでした。どうも私はバブル酔いが抜け切れていなかったようです。「ガツン」とやられてしまいました。

 「姫神風土記」は、そうしたバブル期のまっただ中にあった日本の喧噪、時代の空気とは、完全に対極を為すかのごとき作品です。日本中が無礼講の忘年会のような乱痴気パーティーの様相を呈しているのに対して、姫神・星吉昭さんが投げかけていた視線がどういったものであったか、アルバム「姫神風土記」を聴くと分かるような気がします。

 姫神の活動の中で古代からの東北史の流転の熾烈さを知り、また、ご自身決してバラ色の青春時代を送ったわけではない星さんには、当時の日本の繁栄が“槿花一朝(きんかいっちょう)の夢”にすぎないということが分かっていらしたのでしょう。

 古代末期の平泉の100年の平和と栄耀栄華は、施政者である初代藤原清衡(ふじわらのきよひら)、二代基衡(もとひら)、三代秀衡(ひでひら)の緻密な政治テクニックによって維持されたのですが、施政者に人を得ないとあっという間に瓦解しました。まぐれにまぐれが重なってもたらされたバブルの繁栄など、決して長くは続かない…。人間って本当に歴史から何も学ばないのだなとつくづく思います。

 「北天幻想」以降しばらくは、若干の例外はあれ、作・編曲から演奏に至るまでを、星さんが1人で行う制作スタイルが続くのですが、このアルバムもそのひとつです。

 「姫神風土記」には、後の「ZIPANGU姫神」「千年回廊」のようなダイナミズム、「マヨヒガ」「風の縄文」シリーズのようなたくさんねじ込まれた細かな音の要素は感じられません。至極恬淡な編曲・演奏です。

 私は、例えばジャズでいえばグレンミラー楽団のようなビッグバンドスタイルより、クインテット(5人)、カルテット(4人)、トリオ(3人)、といった小編成のスタイルが好きです。クインテットやカルテットとまではいかないものの、ひとつのナンバーの中に入れられた音の要素の数に関して、「姫神風土記」は私にとってちょうどいい分量です。

 しかし「姫神風土記」はたいへん遺憾ながらサウンド面に関して、演奏を星さんが1人で行うことの限界を私に強く意識させた作品でもあります。昭和58(1983)年春に登場して世界を席巻したYAMAHA DX7以来、内外のシンセ奏者は、メーカーが工場出荷時にメモリーにプリセットしておいたものを、そのまま使う事がほとんどになりました。姫神も例外ではなく、アルバム「まほろば」リリース時の雑誌記事に、「音にこだわるより音楽にこだわりたい」とその理由を述べておられました。

 1980年代半ば以降、アマチュアが出している音とプロのシンセ奏者が出している音は全く同じになりました。シンセサイザーをフィーチャーしたアルバムの代金に、「これまで誰も聴いたことがない音」は、含まれなくなりました。私としては、音楽にも音にも徹頭徹尾こだわっていただいての¥3200也なのですが…。

 「姫神風土記」も、前年の春に登場して世界を席巻していたワークステーション機KORG M1のプリセット音が、ほとんどエディットされていない状態で使われています。「〜せせらぎ清浄〜」の「コロッコロ…」という音、ご存知“Lore”です。「五月の陽はみどり」の「ピコピコピ〜ン…」という音もM1です。

 「空と雲と友と」のトレモロ奏の音もM1のプリセットなのですが、サンプリングポイントが少ないのでピッチが変わるとトレモロの速さが変わる。「空と雲と友と」のトレモロ音を耳をすまして聴いてみると気付くと思います。私としてはシンセのプリセット音ではなく、マンドリンか支那の琵琶(ピパ)といったアコースティック楽器のトレモロ奏を録音していただきたかった。

 「翼」のギターのストラミング奏もM1ですが、やはりアコースティックギターかバンジョーをフィーチャーしていただきたかった。「中野ばやしの夜」のリズムセクションもM1のプリセットですが、これもアコースティックの打楽器を使ってマニュアル演奏していただきたかった。

 KORG M1ばかり槍玉にあげましたが、決してこのシンセそのものが悪いのではなく、サウンド面において使い手のもう一工夫が欲しいと言いたいわけです。

 今年8月21日(アメリカ時間)逝去したロバート・アーサー・モーグ(Robert Arthur Moog)博士は、固有の音を持たない楽器を…という意図を持ってモーグシンセサイザーを発明しました。しかしながらその意図は、1980年代半ば以降、完全になし崩しになりました。

 現在、ここはDX7のプリセットの何番、ここはD-50の何番、M1の…、といった形でシンセサイザーの用法が捉えられているのは残念な話です。姫神のステージ上のRoland D-50を指して、「あれでしか出せない音がある」という言葉をよく聞いたのですが、そのD-50でしか出せない音とやらを、世界中のD-50ユーザーがみんなで仲良く出していらっしゃいます。

 ちなみに「Moog」を「ムーグ」と発音する日本人が多いのですが、モーグ博士は「日本では私の名と私の名を冠したシンセサイザーが“ムーグ”と呼ばれているが“モーグ”が正しい」と述べています。

 アルバム「姫神風土記」には「春萌え〜せせらぎ清浄〜」「白山〜水、沁みる〜」「風の旅〜砥森の声〜」「五月の陽はみどり〜たせ小学校の午後〜」「空と雲と友と〜白い波〜」「翼〜もがり笛〜」「秋の二夜〜遠野ものがたり〜」「中野ばやしの夜〜のこり火〜」「星はめぐり〜雪わたり〜」「峰の白雪消えやらず」が収められています。
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# by manewyemong | 2005-11-25 22:21 | 音楽 | Comments(0)
 「星が降る」は基本的に楽曲のタイトルを意識せずに姫神を聴いている私には珍しく、私の感じたものとタイトルが一致したナンバーであり、姫神・星吉昭さんが生涯お作りになった中で一、二を争うほど私を魅了し続けているナンバーでもあります。

 アナログシンセのVCFのレゾナンスを上げ気味にしたクセのあるリード音と、姫神の定番の澄んだ笛の音(笛、さまざま1参照)が交互に主旋律を奏で、YAS-KAZさんの叩くバリ島の銅鑼の「ボン、ボーン…」という音がリズムを刻み、同じくYAS-KAZさん演奏のトルコの撥弦楽器サズが間(あい)の手を入れる、というのがこの曲の主な音の構成です。

 バリ島の銅鑼もサズも、YAS-KAZさんのアルバム「縄文頌(じょうもんしょう)」「風の卵」でよく使われていました。旋律、音色ともに、土俗的な妖しい部分と清澄な優しい部分が混在していることが、この曲に独特の雰囲気を与えていると思います。フィンセント・ファン・ゴッホの「星月夜-糸杉と村-」(1889年)に通ずるものがあるような気がします。

 姫神の楽曲を聞いていると、忘れてしまっていたほんの短い時間の出来事が、急に、はっきりとした形で思い出されることがよくあります。「星が降る」を初めて聞いたときに、私が3才位の時に山の中で見た星空を思い出しました。前後の記憶は完全に失われているのに、お祭りの帰途だったこと、星空を見上げたこと、そして星空そのものの光景がはっきりと思い出されるのです。竿のような長いもので突けば、本当に降ってきそうな星空でした。

 平成11(1999)年5月、私は岩手県を旅しました。昼間、平泉の伽藍を見学して、眼下に北上川河畔の大水田地帯が広がる束稲山(たばしねやま)の国民宿舎に宿を取りました。湯に浸かって自室にもどると、窓の外の星空が、天上だけでなく眼下にも広がっていました。水を引いたばかりの広大な水田に、天空の星空が映っていたのです。私は部屋の明かりを灯さずに、“星が降る”ならぬ“降った星々”の光景を楽しみました。それ以来、「星が降る」を聴くたびにその光景を思い出すようになりました。

 また、「星が降る」の変奏曲が、昭和59(1984)年11月に放映されたNHK特集「幻の巨大魚タキタロウを追う〜山形・朝日連峰の秋〜」でBGMとして使われました。大鳥池のほとりの紅葉の映像にピッタリでした。


サルヴァスタイル美術館 ゴッホ-星月夜(糸杉と村)-
http://www.salvastyle.com/
menu_impressionism/gogh_night.html

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# by manewyemong | 2005-11-19 08:10 | 音楽 | Comments(0)
 このアルバムは昭和59(1984)年12月5日リリースされました。姫神の作品中、私が最も愛しているアルバムです。

 収録曲は「青天(あおぞら)」「星が降る」「光の日々」「草原情歌」「まほろば」「夢幻夜行(まがどきをゆく)」。

 昭和59年夏、打楽器奏者YAS-KAZさんの「縄文頌(じょうもんしょう)」というアルバムを聴いた時、この人と姫神せんせいしょんが共演すると面白いのではないかと思いました。

 しかしながら、私がそんなとりとめの無い思いつきをした頃、おそらく姫神 with YAS-KAZは、とっくにアルバム「まほろば」のレコーディングを終えていたと思います(追記。昭和59年5月、姫神・星吉昭さんは制作拠点を田瀬湖畔の極楽浄土菅谷苑に移転、アルバム制作は9月から始まったそうです)。

 それから数ヶ月後、レコード店でアルバム「まほろば」を発見した時、これはもしかしたら私をターゲットにした「どっきりカメラ」ではないか、と思いました。先のとりとめの無い思いつきを周囲の人間に話していたからです。

 レコード店で、周囲にカメラが無いか、赤ヘルメットのリポーターがいないかを見回しつつ、妙に身を硬くしてLPをレジカウンターに持って行ったのを憶えています。もちろん「まほろば」は、私をターゲットにした「どっきり」ではなかったのは言うまでもありません。

 姫神・星吉昭さんとYAS-KAZさんとの共演は、私が夢想したよりはるかにすばらしい効果を生んでいます。初期の姫神の大きな魅力である“妖しい美しさ”が、YAS-KAZさんが加わることでさらに拡大されたと思います。YAS-KAZさんの紡ぎ出すリズムは、ただ単に拍子を刻むのではなく、星さんのシンセサイザーのパート同様、唄っているような感じがします。「星が降る」や「夢幻夜行」はYAS-KAZさんがいなくては、楽曲の妖しさが半減してしまうと思います。

 このアルバムから星さんのシンセサイザーに、当時世界を席巻した、ある日本製デジタルシンセが加わりました。YAMAHA DX7です。シンセサイザーの流れを完全に変えた名機中の名機です。

 DX7以外のシンセは、KORG PolysixRoland JUPITER-4Roland SH-2、JUNO-106、VP-330等で、「草原情歌」「まほろば」等のオスティナートに使われたMIDIシーケンサーは、Roland MSQ-700です。

 このころ姫神は16トラックのオープンリールのマルチトラックレコーダーを使って多重録音をしていましたが、現在主流のハードディスクレコーダーと違い、音を重ねる回数に限界があります。したがってシンセサイザー奏者は、それを見越した編曲、演奏、録音をする訳ですが、「まほろば」はその重ねられた音の数が、私の耳にはちょうどいい。

 姫神に限ったことではないのですが、私はハードディスクレコーダーの特性(多重録音の回数を多くとれる)にあぐらをかいたスタイルの現在の制作手法に、何か釈然としないものを感じます。やたらと音をねじ込む足し算ばかりではなく、時には音を間引く引き算も必要だと思います。

 「まほろば」の語句を古語辞典で調べると「すぐれた、よい場所」とありました。特にどこそこを指す、といった語ではないということです。起きて半畳寝て1畳、今この文を打ち込んでいるこの部屋のこの座位置が、私の「まほろば」であるのかなと、アルバム「まほろば」を聴きながらスケールの小さなことを考えてしまいました。

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# by manewyemong | 2005-11-16 20:54 | 音楽 | Comments(0)
 アルバム「OASIS」の「月の光」の変奏曲と思われる作品です。

 NHK特集「シルクロード」では、西安市の中心の鐘楼(しょうろう)の空撮映像等のバックに流れていました。シルクロード沿道の都市のつくりは、支那であれイランであれイタリアであれ、こういった鐘楼や噴水等を中心に放射状に広がる形が多いのですが、そのことを示す映像がNHK特集「シルクロード」第1、2部を通じて何度かありました。

 「鐘楼」は、デジタルシーケンサーRoland CSQ-600の打ち込みか、Roland JUPITER-4のアルペジエータによるオスティナートに、手弾きのメロディやハーモニーが絡んでいくという、初期の喜多郎さんの楽曲パターンの特徴の一つがよく現れています。CSQ-600によるオスティナートの音源は、おそらくminimoogかRoland SH-5だと思います。

 私はこの曲に、西安市がかつて唐の都、長安だった頃の、市中の国際色豊かなにぎわいを想像しました。生々しいものではなく、どちらかというと壁画や日本の屏風絵に描かれているような2次元のイメージです。
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# by manewyemong | 2005-11-12 10:45 | 音楽 | Comments(0)
 「絲綢之路(しちゅうのみち)」というより「シルクロード」あるいは「シルクロードのテーマ」と呼んだ方が、世間的に通りがいいかもしれません。

 シルクロード(絹の道)は、何千年にもわたって欧亜をまたいだ国家や民族の興亡の舞台であり、物流の大動脈でした。しかしそんな壮大な題材の番組の主題曲であるにも関わらず、喜多郎さんは大仰な表現を持ち込まず、むしろ優しい、そして同時に哀調を帯びたメロディを作り、緩やかで広がりを感じさせるアレンジを施しました。結果的にこれが多くの視聴者の支持を受け、喜多郎さんが一般家庭に知られていく端緒になったのではないでしょうか。

 もしこの番組の主題曲を日本や欧米の作曲の大家が担当したら、もっと大胆な曲調の作品になったかもしれませんが、単に1番組のオープニング曲として消費されて終わったかもしれません。

 番組冒頭で流れた主題曲は、恐らくNHK側によるラップタイム指定に沿った編曲演奏が為されたと思うのですが、アルバム「絲綢之路」に収録された「絲綢之路(しちゅうのみち)」は、オープニングテーマよりも尺数が長く、音数が増え、曲がドラマチックに展開していきます。一つ一つの音の要素も洗練されているように聴こえます。

 数年前、小学校の近くを通った時、児童の皆さんが「絲綢之路」をリコーダーで演奏しているのを耳にしました。「絲綢之路」は、すでに喜多郎さんという1人の音楽家の1作品、あるいはNHK特集「シルクロード」という1番組の主題曲ではなく、楽曲そのものが1人歩きを始めているようです。
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# by manewyemong | 2005-11-11 22:02 | 音楽 | Comments(0)
 私が小学6年生だった昭和54(1979)年4月、NHKは「マルコ・ポーロの冒険」という番組を放映し始めました。おそらく後の「あしたのジョー2」「コブラ」のスタッフが携わったと思われる(絵のタッチが酷似)美しいアニメーションと、16ミリフィルムのドキュメンタリー映像とで構成された番組でした。

 マルコ・ポーロの「東方見聞録」を下地した物語の面白さと、日本とは大きく異なるシルクロード沿道の諸民族の暮らし、史跡や大自然の景観、小池朝雄の語りや小椋桂さんの主題歌は、10代初めの私をシルクロード熱に罹患させる誘い水になりました。小学6年生にして「新十八史略」、へディンやスタインの探検記、井上靖の小説「楼蘭」「敦煌」「蒼き狼」等を、辞典を引きつつ読みふけるようになっていました。「シルクロード」放映開始までに、私にはこんなプロローグがあったわけです。

 「マルコ・ポーロの冒険」終了後の昭和55(1980)年4月7日から放映が開始されたNHK特集「シルクロード」は、当然ながら私を魅了しました。そして番組中で流れた喜多郎さんのBGMは、それまでさほど関心の無かった音楽という芸術を、一気に私の意識の中心に据えてしまいました。

 アルバム「絲綢之路(しちゅうのみち)」は「シルクロード」放映開始の翌月の発売でした。私は「シルクロード」第1集の放映直後にアルバム「OASIS」を買っていたので、「絲綢之路」は発売を待つ形で手に入れた最初のアルバムです。

 アルバム「絲綢之路」の収録曲は「絲綢之路」「鐘楼」「天地創造神」「遥かなる大河」「長城」「飛天」「シルクロード幻想」「光と影」「西に向かって」「時の流れ」「菩薩」「永遠の道」。

 アルバム「絲綢之路」は、後の長尺の楽曲が多くなる喜多郎さんのアルバムと比べて、やや小品集的な趣きなのですが、ドラムセットのスネアやタムタムを使った曲が無いこと以外、喜多郎さんの音楽のありとあらゆる要素が織り込まれています。

 昭和59年に出版された「天界から飛雲までの集大成と喜多郎語録」のアルバム「絲綢之路」に関するコメントの中で喜多郎さんは、「テレビのBGMなので視聴者の立場を考える必要があった。人が意識を深くのめり込ませて聴く時間は2分半くらい。その中で色々なテクニックを使ってみようと思った」という意味の言葉を述べていらっしゃいます。

 作品として独立した絶対音楽ではなく番組の付帯音楽であるということは、音楽家にとって、いわば軛(くびき)をかけられることのはずですが、喜多郎さんはNHK特集「シルクロード」においてむしろそれを逆手に取って、「天界」「大地」「OASIS」よりも表現の幅をひろげたのではないでしょうか。

 NHK特集「シルクロード」の音楽は、その後のNHKや民放テレビの大型ドキュメンタリー番組のBGMの一つの形、流れを新たに作ったと思います。そしてそれは、1980年代半ばに興ったニューエイジ音楽という、新たなカテゴリーの世界的な盛り上がりへと続いていったように思えます。

 このアルバムは前作「OASIS」同様、喜多郎さん1人でシンセサイザー、アコースティックギター、民族楽器やパーカッション類を演奏し、2台のオープンリールタイプ8トラックのマルチレコーダーTEAC 80-8に録音していました。ミキシングコンソールを使わず、直接TEAC 80-8に録音していたそうです。

 このアルバム制作時の喜多郎さんの自宅兼スタジオは、鎌倉市腰越にありました。

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# by manewyemong | 2005-11-10 18:52 | 音楽 | Comments(0)