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 アルバム「遠野」には、詩人の斎藤彰吾さんによるライナーノーツと柳田国男の「遠野物語」「拾遺」およびそれらには収録されていない遠野の伝説や昔話にちなんだ詩が各曲に添えられているのですが、「赤い櫛」のそれは要約すると、

渕の水面に赤い櫛が浮いて回っていて、渕底に羽の生えたような大木があった。ある朝、鐘の音とともにその木が空高く舞い上がって石上山の方へ消えて行った、木には美しい娘がまたがっていた

という、何だか脈絡の無い夢の中の出来事のような内容です。

 旋律も音も捉えどころの無い感じがするのですが、曲がこの伝説の成り行きに添う形で展開していくことや、この伝説に触れて後に感じる何だかけだるい夢幻感を上手く表現できていることがこの曲の魅力だと思います。

 メロディの少々音程の悪い口笛のような音はアナログシンセのVCFの自己発信音で、VCFのキーボードトラック(またはキーボードフォロー)をきちっとした平均律ではなく、少し狂わせて設定していると思います。

 曲の冒頭等で聴こえる二つの鳴りものや撥弦のグリッサンド奏の音は、いずれも東南アジアの楽器と思われます。二つの鳴りものはベトナムの民族音楽のCDで聴いたおぼえがあるのですが、楽器名等すっかり失念してしまいました。グリッサンドに使われた撥弦楽器は、所謂“ビルマの竪琴”だと思うのですが、これもはっきりとはわかりません。

 マイク・オールドフィールドさんがBGMを担当した映画「キリングフィールド」(ローランド・ジョッフェ監督)のいくつかの曲で、「赤い櫛」で使われたのと同じ鳴りものが使われています。最も分かりやすいのはエンディングタイトルロールで使われた「Etude」(原曲はフランシスコ・タレルガ作曲「アルハンブラの思い出」)です。マイク・オールドフィールドさんはこれらをそのまま録音したのではなく、オーストラリア・フェアライト社製サンプラーCMI(Computer Musical Instrument)に収録して使ったと思われます。ちなみにFairlight CMI、発売当時のお値段¥12,000,000也。

 また「赤い櫛」冒頭等で聴こえる「シャー、シャッシャー…」という電子音、これはボコーダーRoland VP-330 Vocorder Plusです。マイクに向かって喋りながら鍵盤を弾くというのが演奏法です。「えんぶり」(アルバム「姫神」より)「武夫のテーマ」(映画「遠野物語」オリジナルサントラ盤より)等でも使われています。

 KORG MS2000シリーズmicro KORGのボコーダー機能を試す時、私の同世代はYMOの「テクノポリス」冒頭の「トキオ」を話すことが多いのですが、私はどうも「シャー、シャッシャー…」と言ってしまいます。

 姫神せんせいしょんが「春風祭」「早池峰」で炊事用のボウルを楽器として使ったひそみにならって、つまらない事を考えてみました。「シャー、シャッシャー…」をボコーダーを使わずにやってみましょう。ハーモニカを用意します。そして少しでも多くの穴を塞ぐ為に、口を横に大きく開いて、主に低音部の穴を塞ぐようにしてハーモニカをくわえます。そして「シャー、シャッシャー…」と、声を出さずに言ってみて下さい。ボコーダーの音に聴こえませんか?、聴こえませんね、すみません。

# by manewyemong | 2006-07-07 20:52 | 音楽 | Comments(0)
 テレビ東京系「美の巨人たち」の7月8日放映分は、伊藤若冲とエツコ&ジョー・プライスコレクションの特集です。伊藤若冲の特別展でご案内した「プライスコレクション・若冲と江戸絵画展」にちなんだものと思われます。

 自称“合衆国中部に住む一技術者”ジョー・プライスさんは、昭和38(1963)年に初めて日本を訪れて以来、日本人の美術的価値観に惑わされることなく、空間の巧妙な処理、型にはまらない構図、自然に対する把握力をもつ、と感じた作品を収集し続けたそうです。このコレクションの中核を為すのが伊藤若冲の作品群です。

 昭和45(1970)年、京都御所の皇室御物曝涼(ばくりょう:虫干し)のおり、伊藤若冲の「動植綵絵」30幅全てが風通しのため御所内に掲げられ、特別にそれを見る機会を与えられたジョー・プライスさんは、人目もはばからず感泣したといいます。

 ジョー・プライスさんは収集した江戸絵画を個人的に楽しむのではなく、ロサンジェルス・カウンティ美術館に寄贈して、多くの人々が伊藤若冲、ひいては江戸絵画の魅力を堪能することに貢献されています。

 我々は明治維新以来、それまで日本人が為して来たものを否定、あるいは忘却してきました。そのことを外からの風によって意識することがありますが、エツコ&ジョー・プライスコレクションもその一つだと思います。

 「プライスコレクション・若冲と江戸絵画展」は7月4日から8月27日まで東京国立博物館、その後、伊藤若冲が生まれ育ち死んでいった京都に帰ってきます。京都国立近代美術館では9月23日から11月5日まで。京都に帰って来るのを待つか、上京して皇居三の丸尚蔵館第40回展 「花鳥−愛でる心、彩る技<若冲を中心に>」も併せて観るか、思案中です。

 プライスコレクション・若冲と江戸絵画展を観ました「動植綵絵」、相国寺に帰る(1)「動植綵絵」、相国寺に帰る(2)「動植綵絵」、相国寺に帰る(3)「若冲になったアメリカ人/ジョー・D・プライス物語」へ続きます。


テレビ東京「美の巨人たち」
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/


参考資料

「目をみはる伊藤若冲の動植綵絵」(狩野博之、小学館)

「芸術新潮」2000年11月号(新潮社)


追記

 この回の「美の巨人たち」のBGMについて、ほとんどがYAS-KAZさんの「縄文頌(じょうもんしょう)」というアルバムからのピックアップで、冒頭の「鳥獣花木図屏風」にバックに流れていたのは「ジャングルブック」です。
# by manewyemong | 2006-07-02 09:41 | | Comments(0)
アルバム「姫神」の中で、

袴田一夫(はかまだ・かずお)さんの手によるジャケット画の鳥は、18世紀の江戸時代の京都の絵師、伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう)が描いた「動植綵絵(どうしょくさいえ)」の中の「老松白鳳図(ろうしょうはくおうず)」をモデルにしたと思われます。私は実物を1999年末、上野の東京国立博物館で開かれた「皇室の名宝」という特別展で見ました。「老松白鳳図」は皇室御物として宮内庁三の丸尚蔵館におさめられています。

と書いたのですが、最近、伊藤若冲の作品の皇室御物の公開や、恐らく若冲の最大の収集家と思われるジョー・D・プライスさんのコレクションの特別展が相次いでいます。それらに関連したサイトを以下に挙げておきます。
 

三の丸尚蔵館第40回展「花鳥−愛でる心、彩る技<若冲を中心に>」
http://www.kunaicho.go.jp/11/d11-05-06.html

 アルバム「姫神」のジャケット画の元になったと思われる「旭日鳳凰図」「老松白鳳図」は、ともに第4期7月8日から8月6日までの公開です。

プライスコレクション「若冲と江戸絵画展」
http://www.jakuchu.jp/index.html

「若冲と江戸絵画展」コレクションブログ
http://d.hatena.ne.jp/jakuchu/

伊藤若冲の花鳥画(「老松白鳳図」等)
http://gonzarez.hp.infoseek.co.jp/jakutyu/jakutyu1.html

 
 「美の巨人たち」でジョー・プライスコレクションの特集プライスコレクション・若冲と江戸絵画展を観ました「動植綵絵」、相国寺に帰る(1)「動植綵絵」、相国寺に帰る(2)「動植綵絵」、相国寺に帰る(3)「若冲になったアメリカ人/ジョー・D・プライス物語」に続きます。

# by manewyemong | 2006-06-26 10:07 | | Comments(0)
 姫神せんせいしょんの「山神祭」は、素朴なメロディと、バックで鳴っているミステリアスな美しさを秘めたハーモニー、そして太鼓を使った伝統的な神楽風のリズムのコントラストが印象的です。全く違う要素を抱き合わせる事で単独では出せない効果をかもし出す…この手法に姫神せんせいしょん当時から姫神・星吉昭さんは長けていたと思います。

 江戸川乱歩(えどがわ・らんぽ)の「白昼夢」という短編小説の冒頭に子供達が、

アップク、チチリキ、アッパッパア…

と全く意味不明な歌を唄う場面があります。その歌の部分は後に続く惨劇を引き立たせるような効果を生んでいました。乱歩はこの歌で読者に暗示をかけたのかもしれません。初めて「山神祭」を聴いた時、私はこの小説のこの場面を思い出して慄然としました。

 姫神せんせいしょんからは話が逸れるのですが、過去、時代の転換期に意味不明な歌や踊りが流行ることがよくありました。

 澁澤龍彦(しぶさわ・たつひこ)のエッセイ「東西不思議物語」の「不気味な童謡のこと」には、上に書いた「白昼夢」の歌を始め、飛鳥時代から近江朝時代にかけて不思議なわらべ歌がしきりに流行って人々が恐れおののいたこと、「日本書紀」の斉明天皇6年12月の条の記された当時流行った全く意味不明な歌、関東大震災前の「枯れすすき」、昭和20年の終戦前に流行った「さらばラバウルよ」等について記されています。

 斉明天皇の6年とは、百済を救援する為に大陸へ派遣する船団を準備していた時期です。歌は作戦の失敗を予言したものとも言われましたが、当時も今も真相は分かりません。

 平成2(1990)年の今頃、ラジオを聴いていたら「ピーヒャラピーヒャラ、パッパパラパー…」という意味不明な歌が流れてきました。何だか嫌な予感がしたのですが、案の定、その年バブルが崩壊しました。この歌「踊るポンポコリン」(BBクイーンズ)はその年のレコード大賞に輝きました。

 また平成10年1月、「アバーナガーマーポー…」というこれまた聴いただけでは全く意味不明な歌詞の「神々の詩」が出ました。もちろん姫神の作品です。翌年にノストラダムスの大予言の七(なな)の月が迫り、そしてソフトウェア西暦2000年問題がひかえていたのですが、こちらは杞憂に終わりました。もっとも2000年対応は私にとって悪夢のような日々で心身ともに消耗しました。

 「山神祭」は姫神にはたいへん珍しい、曲想そのものがある種の不安感を醸し出している作品のような気がします。人間には恐怖や不安に対してどこかで悦楽を感じる部分があって、この曲は私のそんな部分に訴求したのだと思います。


「東西不思議物語」(澁澤龍彦著、河出文庫刊)
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/4309400337

# by manewyemong | 2006-06-19 19:06 | 音楽 | Comments(0)
 アルバム「まほろば」がリリースされた昭和59(1984)年のNHK大河ドラマ「山河燃ゆ」の中で、アグネス・チャンさんが「草原情歌」という支那の歌を唄うシーンがありました。全くの同名異曲ですが、あるいは姫神・星吉昭さんがこの曲のタイトルを考える上で影響を受けたのかもしれません。

 私は「青天(あおぞら)」(アルバム「まほろば」より)に晴れ渡る真っ平らな田園地帯を想起しましたが、「草原情歌」は、同じ場所の天気が曇天から小雨がパラつき出しそして本降りへと刻々と変化してゆく光景を、ドラマチックに描いているように感じられました。

 くもりから雨へと天気が変わりはじめる時、空気が晴天時よりも清澄になる瞬間があります。そんな時、遠景の木立の葉の色の違いや家並の瓦のくすみ具合が、むしろ日が照っている時よりもはっきりと視認できることがあります。「草原情歌」の出だしの後に続く静謐感のある部分はその光景の音化のように感じられました。

 ストイックだった曲想が次第に高揚してゆく所から曲の終端までは、雨の降り出し、雨脚の強まりを描いているように思えます。曲中鳴り続けているYAS-KAZさんが叩くバリ島の銅鑼の音は、曲初ではゆっくりと緩くなのですが、次第に激しさを帯びてきます。遠かった雷がだんだん近くで煌めき咆哮する様の表現かもしれません。

 そして私は歌川広重の「大はしあたけの夕立」(「名所江戸百景」より)や「庄野」(「東海道五十三次」より)といった浮世絵も想起しました。曇天から小雨がパラつき出しそして本降りへと刻々と変化してゆく光景を、広重は時間の概念の無い1枚の版画の中に、姫神 with YAS-KAZは約5分の曲の中に描き込んでいると思います。

 曲の終端で鳴っている撥弦音は西部劇のBGMやカントリー音楽でよく使われるジューズハープ(ジョーハープ)です。アイヌ人のムックリや台湾の口琴等、同じメカニズムの楽器はヨーロッパ、アジア、中南米にまで広く存在しています。日本本土にも江戸時代“びあぼん”というものがありました。幕府から禁止令が出たそうです。そういえば子供の頃に見たテレビアニメ「ドロロンえんまくん」のエンディング曲のイントロにジューズハープが使われていました。

 私はこの曲がコンサートで披露されたのを聴いたことはありませんが、平成9(1997)年9月の青森県三内丸山遺跡での公演のリハーサル中、この曲のメロディーが似つかわしくない音色(フィルターのレゾナンスが効いて、かつポルタメントがかかったリード音。機種不明)で、至極適当な調子で弾かれるのを客席中央後方のミキシングコンソールのそばで聴きました。メインのPAではなくコンソールスタッフのモニタースピーカーからの音です。星さんご本人が弾いていらしたのかどうかはわかりません。

 また、NHK「ぐるっと海道三万キロ」昭和60(1985)年12月16日放映分「国境の民・海の民~オホーツク夢の旅~」の、闇夜の波打ち際でのギリヤーク尼ヶ崎さんの舞踊のシーンで、BGMとして使われていた記憶があります。


ジューズハープ(「ロバハウス」楽器館より)
http://www.roba-house.com/2inst/perc.html
# by manewyemong | 2006-06-12 20:00 | 音楽 | Comments(0)